エル・アラメイン
エル・アラメイン
8/15を前に、第二次世界大戦北アフリカ戦線に於ける枢軸軍と連合軍の古戦場、エル・アラメインを訪ねる。軍事オタクの方々には聖地かもしれないが、アジアの片隅からここまで来る人は少ないだろう。アレキサンドリアから西に向かい(リビアの方向)海岸沿いに100km程、ナイルデルタの西端から外れた砂漠、サハラが地中海になだれ込んでいる場所である。少し内陸に入った場所にEl Alamein Military Museumがある。
ヒトラーの下で侵攻を続けるロンメル将軍の枢軸国と、チャーチルのイギリスを中心としたモントゴメリー率いる連合軍の交戦(1942)の地に博物館が建っている。建物周囲の庭に当時の戦車や戦闘機が屋外展示されているのを見てから建物に入る。砂漠用の兵器は迷彩色ではなく単色、明るいベージュの砂色に塗られていた。建物に入ると戦闘に加わった各国の軍服を着たマネキンや戦場での生活用品やらが貧相な展示ケースに入っていて、場末感が漲っている。
エジプトは当時ファルーク1世統治下の王政を敷いていた。国内には要衝スエズ運河があるものの、第二次世界大戦では他の国にはほぼ相手にされていなかったと言って良い。軍事力でどこかに協力できるわけも無く、自国にズルズル戦闘域が迫って来たのを指をくわえて見ていたに過ぎない。「枢軸国はモントゴメリー率いる連合国軍に負けるが、この時のファルーク1世の連合国寄りの姿勢が、枢軸国派の将校が多かったエジプト軍内部の不満を高めた。」との記述が残っている。どっちつかずで右往左往していただけだろう。第二次世界大戦の中途半端な態度と、続く第一次中東戦争でイスラエルに負けたことによりエジプト王家に対する信頼は完全に失墜した。
博物館に一緒に来た知りあいのエジプト人の様子を見ると、対岸の火事見物的な態度でこの展示を楽しんでいる。何かのイベントを懐かしむような。彼の祖父は軍人だった。
現在のエル・アラメイン一帯は、ドバイのデベロッパー連中などが投資目的の高級リゾートを開発していて、その流れが止まらない。海は見たこともない深いアクアマリンの魅力的な色をしている。ただ、開発の規模が桁外れに大きすぎること、年間2か月しか人が集まらず残りの10か月はゴーストタウンになること、海岸とはいえ砂漠の只中の開発であること、を考え合わせると、いずれ本物のゴーストタウンになるコンクリートの塊が量産されているだけだ。戦いに巻き込まれやすいエジプトの体質は変わっていない。
2018年8月11日土曜日