東洋文庫
東洋文庫
半端ないコレクションがうなっているとの噂。初めて東洋文庫に行ってみた。
「日米修好通商条約」(本物)などをエントランスホールに近いところで拝見した後、階段をのぼると「モリソン文庫」の大書棚がドドーンと鎮座ましましていた。
東洋文庫のHPによると、「1917年、東洋文庫の創設者、岩崎久彌は北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士から東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子等約2万4千点をまとめて購入しました。」とある。
George Ernest Morrisonは、1862年2月4日生〜1920年5月30日没 wikiによるとモリソンは「旅行家、冒険家、『タイムズ』特派員、図書収集家」とあり、北京に駐在していたが「1919年パリ平和会議に中国代表にともなってヨーロッパに行ったが、病気になり、イギリスで死去した。」とある。死期を予感して大事なコレクションを生前に売り渡してしまったのか、それとも別の理由で大量の蔵書を処分する必要に迫られたのかは分からない。旅行や冒険で生きている人が、コレクション、しかも座して読むべき本を集めることになったというのも因果な話だ。
戦後、東洋文庫を支援していた三菱が解体され経営困難に陥ったが、元首相・幣原喜重郎の尽力によって国が支援を始め、国立国会図書館が東洋文庫内に「支部東洋文庫」を置くことでコレクションの散逸の危機を免れたという。幣原喜重郎も岩崎家から嫁をもらっていて、三菱の縁戚関係者だ。今も東洋文庫は三菱グループからの支援と、国の補助金で賄われている。
東洋文庫の裏側には、手入れの行き届いた芝生の庭があり、その庭に面して小岩井農場がプロデュースしている「オリエントカフェ」がある。小岩井は創業者3人、小野義眞、岩崎彌之助、井上勝の頭文字。ここにも三菱。
2018年6月17日日曜日