ときの忘れもの・拾遺
ときの忘れもの・拾遺
第6回ギャラリーコンサート(10月3日)に寄せて
一昨年末、『ときの忘れもの・拾遺』のコンサートシリーズを始めるにあたり、次のように書きました。
「ときの忘れもの」でコンサートをするならば、こぼれた佳作を拾い上げるように、忘れかけていた音楽に関わる力を、もう一度取り戻させてくれるかもしれないという期待を込めた企画にしたいと思いました。少人数、至近距離、は画廊のサイズが与えてくれる好条件!ですが、さらに、知られていない楽曲や作曲家を紹介すること、あまり馴染の無い古いスタイルの楽器を使うこと、画廊所蔵作品とのコラボなど、できることはたくさんありそうです。(20151115)
この度、青山から駒込に移転された「ときの忘れもの」を淡野弓子さんとともに初めて訪ねた時に、「できることはたくさんある」を新しい空間で改めて実感する事が出来ました。コンサートホールのような、隅々まで視線や音が均質に届くために計画された空間ではありません。住宅ならではの、立体的に引き延ばされ、折れ曲がり、音源と聴衆が互いに不可視の位置関係になることも有り得る空間。引越が決まる以前から今回の企画は決まっていましたが、新しい空間はこの企画にうってつけの場所でした。コンクリート打放しの硬質な内壁も、屈曲する複雑な内部空間に音を充たすための必要なしつらえとさえ思えます。
今回の『ときの忘れもの・拾遺』は、坂本長利さんの朗読による『からすたろう』を中心に据え、淡野弓子さんの歌う『日本の童謡と歌曲』を聴く企画です。空間の特性上、演者が見えない場所で音を聴くこともあるでしょうし、無音に耳を澄ますことを強いられるかもしれません。コンサートと呼ぶには少々風変わりではありますが、参集した方々が「ときの忘れもの」のお気に入りの場所に座し、音に集中する時間。そのひとときを共に過ごしたいと願っています。
絵本『からすたろう』の作者、八島太郎(1908-1994)は、特高に何度も逮捕投獄され拷問を受けた挙句、1939年3月に日本から脱出しアメリカで生きる決断をします。日本が東京オリンピックの開催権を返上した直後、日独伊三国同盟を結ぶ直前の事です。八島は、軍国主義的な時流に乗る事なくアメリカでも徹底して反戦を貫き、アメリカの戦時情報局に加わり対日宣伝活動に参加、沖縄では爆撃機から早期の投降を呼びかけるビラを撒きました。八島太郎の生き方に学ぶなどという大それたことはできないまでも、この機会に彼の人生を取り巻いていた歴史に触れることはできるのではないか。
あたらしく与えられたギャラリーで空間的/音響的可能性を求めると同時に、八島太郎と彼の残した作品を困難な時代の警鐘として受けとめる。30年代に状況が酷似している今だからこそ、この場所でできることはたくさんありそうです。
2017年8月30日水曜日