椋鳥

 


椋鳥は一年中同じところにとどまる留鳥の筈だが、先週あたりから数が増えたのかよく目にする。オレンジ色のクチバシと足が林のなかでピョンピョン動き回り、餌を探している。必ず数羽が家族のように一緒になって動き回る。春に生まれた雛鳥が巣の外に出て親鳥と一緒に行動を開始したのかも知れない。


森鴎外が匿名で『椋鳥通信』という随筆を書いていたのは知っていたが、実際に読んだことが無い。days20140626で椋鳥に触れ、なぜ鴎外が椋鳥通信と名付けたのか疑問を持ったまでは良かったが、その時にはまだ手頃な本が出版されていなかった。岩波の『鴎外全集』の中に入っているらしいが(27巻)、それも知らなかった。


今になって椋鳥のことを調べはじめたら、岩波文庫で『椋鳥通信』上中下3巻が出ている。上は201410に出版されているので、daysの直後のことである。目にしなかったのは、普段古書店にしか行ってなかったからだと思うが、そろそろ古書店にも出回っている筈だ。


後から知ったが、今日は鴎外忌だったようだ。鴎外の墓所は太宰治の墓と「桜桃忌」で有名になった霊泉山 禅林寺。太宰は尊敬する鴎外の墓の近くに自分の墓を設けたかったようだ。太宰の死後、残された妻の美和子が、鴎外の墓の近くに太宰の墓を建てたとされている。


「 この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」(太宰治『花吹雪』)


ネットでこんな話題も見つけた。

https://www.kensetsunews.com/web-kan/81433

 

2017年7月9日日曜日

 
 

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