太宰1
太宰1
椋鳥だ、鴎外だ、と連想を拡げたら、太宰がついてきてしまった。鴎外の墓所であった禅林寺は、今はどちらかというと太宰の墓所として名が知られている。功成り名遂げて王道を歩んだ鴎外よりも、社会から疎まれた不健康な生活破綻者の方が大衆的には共感を呼ぶと云うことだろうか。
入水する気になる程、1948年当時は水量も水勢もあったのだろう。太宰と山﨑富榮が入水した辺り=「むらさき橋」の西側、には太宰の故郷津軽の「玉鹿石」が設置されている。「はい、ここで入水しましたよ」という目印なのか。なんだかなぁ。6月13日に入水して、19日に少し下流の「新橋」のすぐ東側、明星学園の正門前で発見されたという。38歳。迷惑な話だ。「むらさき橋」から下流に向けて「万助橋」「ほたる橋」「幸橋」「新橋」。地図で計測してみると、1.3km弱。
「万助橋」と「ほたる橋」の間、御殿山の林には「松本訓導殉難碑」がある。根府川石だろう。高さ3mほどもありそうな立派な石碑である。1919年(大正8年)永田町小学校の児童500名と教師13名が井の頭公園まで遠足に来た時のこと、一人の児童が誤って玉川上水に転落。松本虎雄という教師が児童を救おうとし着衣のまま飛び込んで溺死してしまった。31歳。子供は草に掴まって無事だった。この殉職が世人の同情と感動をよび、いくつかの新聞が連日詳報を載せたという。翌年、有志の拠金によって記念碑が建てられた。彼の墓は雑司ヶ谷霊園にある。ここは漱石の墓所でもある。
2017年7月11日火曜日