プロデューサーの辞
プロデューサーの辞
2017年の『ときの忘れもの・拾遺』は、3回にわたり声楽家の淡野弓子(たんの・ゆみこ)さんに登場していただきます。
淡野さんを声楽家と呼ぶのは少し抵抗があります。というのは、声楽家としてのご活躍と同等、あるいはそれ以上に指揮者、合唱指導者、研究者として八面六臂のご活躍をされているからです。しかもその活動領域を年々拡張し、新しいことに次々と挑戦されている。学生時代は前衛芸術運動・フルクサスに参加していたとのこと。
演奏する研究者として『バッハの秘密』(平凡社新書)の近著がある淡野さんは、バッハのみならず、その100年前の大作曲家、ハインリヒ・シュッツ(1585〜1672)演奏/研究の第一人者です。ハインリヒ・シュッツは宗教改革者マルティン・ルターのドイツ語訳聖書を全て音楽にすることをライフワークとしました。シュッツの作品群がその後のドイツ音楽の礎となります。淡野さん率いるハインリヒ・シュッツ合唱団・東京は、シュッツの全曲演奏を成し遂げ、言葉と音楽が分ち難く結びつていること、また言葉が音楽の源泉であることを証ししてくれました。
現在、世界は言葉の力を蔑ろにする動きに満ちています。今年の『ときの忘れもの・拾遺』では、言葉本来の力を再確認したいと願い、畏れつつ淡野さんに白羽の矢を立てました。3回のコンサートは、全て淡野さんの構想によるプログラムです。私の思惑をはるかに超える内容を構んでくださった淡野さんに感謝し、皆様と共に、コンサート当日その場に居合わせたいと切に願うものであります。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1:1-4)
2017年4月8日土曜日