ときの忘れもの・拾遺 2017
ときの忘れもの・拾遺 2017
今年の「ときの忘れもの・拾遺」ギャラリーコンサートは、淡野弓子さんによる3回シリーズ。(5/23、10/3、12/26いずれも火曜日18時開演)
以下、淡野弓子さんによる文を転載。
「ときの忘れもの」のギャラリーコンサート・シリーズの2年目となる今年、第5、6、7回を担当させて頂くこととなり、弾む心のままに「鳥」をテーマとした各回のプログラムを考えました。春には<夜鶯>、秋に<カラス>、そして冬には<大鴉>に登場願い、彼らの語るところを時に物語、詩なども交えて歌いたいと思っています。
第5回
春<夜鶯>2017年5月23日(火)午後6時
夜鶯の歌~中世からロマン派へ
メゾ・ソプラノ:淡野弓子
スクエア・ピアノ:武久源造
リコーダー:淡野太郎
高校時代から親しんだドイツリートの世界、なんといっても出現頻度の高い単語、それは Nachtigall 夜鶯でした。ナハティガルの現れかたはさまざまです。
「ナイチンゲールよ、恋人が眠っています。起こさないでね。
「彼方の霧の谷からは僕を追ってナハティガルが愛らしく歌い・・・」
「小夜啼鳥が叫んだ、『彼女はお前のもの!』と。」
「春の風が吹くころ、夜鶯は地下牢から想いのたけを響かせる。
かと思うと「お前の鳴き声は骨に髄に食い込むようだ。止めておくれ!」などというものもあって、首を傾げていました。それにしてもドイツのNachtigallは一体どんな声で鳴くのでしょう。ホーホケキョではないと思っていましたが、どうしても確かめたいものだとの念いは募るばかりでした。
僥倖に恵まれ私が教会音楽を学ぶためドイツに渡ったのは1964年の秋でした。着くとすぐに、Nachtigall の声が聴きたいことを寮生の一人に伝えました。
初夏の湿った夜半でないと鳴かないとのこと、9月から5月までの長かったこと!ついにその日が来ました! 寄宿舎の裏手に灌木の茂みがあり、そこに面した部屋の同級生が「今夜、私の部屋に来て! Nachtigall が啼くかも。」と誘ってくれたのです。部屋を暗くして窓を半分ほど開け、息をひそめて待ちました。「あっ、啼いた!」「エッ?」それから始まった鳴き声はおよそ鳥とは思えぬ奇妙なものでした。クヴィ、クヴィ、チチチ、ギャッとそれはうるさくメロディもありません。これが優れた詩人の描く麗しいNachtigall の歌?
この体験から四半世紀ほどのち、私は中世の吟遊詩人たちの歌謡に出会いました。オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン(1376-1445)の《麗しの5月》という歌の最後に「チディヴィク、チディヴィク、チディヴィク、チフィ、チゴ、チフィ、チゴ、チフィ、チゴ と歌うはナハティガル」とあり、これがほぼ私の1960年代に聴いたドイツのNachtigallと同じ鳴き声のようです。
というわけで、5月23日はこの歌から始め、ゲーテ、ハイネといったドイツの詩人たちが詠ったNachtigallをシューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフらの音楽でお届け致します。スクエア・ピアノ(シューベルト時代の鍵盤楽器)の水晶を思わせる透明な響き、リコーダーによる《天使のナイチンゲール》(J.v.アイク)ほかもお楽しみください。
第6回
秋<カラス>2017年10月3日(火)午後6時
やしま たろう『からす たろう』
朗読:坂本長利
日本の童謡と歌曲
メゾ・ソプラノ:淡野弓子
やしま たろうの文絵になる『からす たろう』という絵本があります。絵も文も内容も人のこころに、静かに、しかしそれは強く、また深く入り込んで来る、なかなかに珍しい作品です。私はこの作品を題材にした、人形と人間が同時に演ずる、それはユニークな舞台をアメリカのミネアポリスで観たのでした。そして自分でもこの絵本を元に小さな舞台を創ってみたくなり、俳優の坂本長利さんに『からす たろう』を朗読していただけないか、とお願いしたのです。嬉しいことに坂本さんも『からす たろう』を大変気に入ってくださり、今回の計画が動き出しました。
『からす たろう』主人公は「ちび」と呼ばれ、だれからも相手にされず、クラスのしっぽにくっついていた少年です。私は坂本さんの朗読によって伝わる場面の様子や気配に融け込むような日本の歌を歌いたいと思っています。
1933年2月21日、築地署で惨殺された小林多喜二のデスマスクを鉛筆で描いた 八島太郎、1939年3月、アメリカに向かう貨物船に身を潜め日本に別れを告げた八島太郎について、ここに詳しく書くことは出来ませんが、このような思想的背景も、この『からす たろう』の上演に欠けてはならぬと考えています。
第7回
冬<大鴉>2017年12月26日(火)午後6時
エドガー・アラン・ポー『大鴉』
朗読:坂本長利
フランツ・シューベルト《冬の旅》より
メゾ・ソプラノ:淡野弓子
スクエア・ピアノ:武久源造
エドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』は原名を『The Raven』といい『Crow Boy からす たろう』とは種類の違う鴉です。『からす たろう』の方は、カラスのいろいろな鳴き声を一人の少年が見事に真似をする話ですが、『大鴉』では鴉が人間の言葉を喋るのです。それもただ一語「Nevermore」と。
大鴉が舞い込んだのは恋人を失った青年が嘆き悲しむ部屋のなかです。青年と鴉の間に不思議な絆が生まれ、青年は鴉に問いかけます。が、鴉はなにを訊かれても「Nevermore」を繰り返すのみ。青年の心は少しずつ歯車が狂い出し、ついに床に広がる大鴉の影に魂が流れ出てゆき、2度とそこから抜け出すことはない・・最後のnevermore! は誰が言ったのか分からぬまま詩は終ります。
この詩を読むうちにシューベルトの「鴉」「鬼火」といった《冬の旅》のなかのリードがいくつも胸に浮かんできました。よく考えれば《冬の旅》と『大鴉』の話の流れはほとんど同じなのです。そうだ、この詩のなかに《冬の旅》の歌を織り込んでみよう、と思い立ち、この朗読も坂本さんにお願いし、武久さんのスクエア・ピアノ・・このピアノの音色はポーの世界にぴったりです・・とともに歌います。
どの回も一風変わった趣向ですが、酉年の企画、お心に留めていただければ幸せに存じます。
2017年3月 淡野弓子
2017年4月7日金曜日