運慶
運慶
運慶展@東博平成館
超混雑の噂を聞いていたので出かけるのを躊躇していたけれど、松浦さんに勧められ見に行くことにした。初めてスマホでネットチケットを購入。土日は夜9時まで開いている。雨降りの夕方6時ぐらいに行ってみたら待ち時間無しですんなり見ることができた。
仏像は個人で制作するわけではない。大仏師の指示のもと、仏像の大きさにより複数の小仏師たちが作業を分担しながら造り進める。また、着彩は彫師とは別の職能を持つ絵師が担当する。この際、大仏師運慶の役割は全体のディレクターのような役回りだろうか。運慶の「作品」が優れていると云われるのは、この仏師集団=僧侶集団を束ねる運慶の求心力の強さが評価されていると言っても良い。運慶の求心力は彫師としての突出した技能はもとより、尊敬に足る信仰の強度が支えていた筈だ。
運慶と類似した仕事の仕方をしているのは、ミケランジェロやロダンのような個人の能力が直に現れるアーティストではなく、ストラディヴァリのような工匠集団かも知れない。現代では村上隆、カプーア、エリアソンらが、巨大なプロダクションを率いて制作を続けている。そんなことを考えながら「八大童子立像(金剛峰寺)」を眺めると村上のつくるフィギュアが想起される。極上の木製フィギュア。完成当時は鋭く鮮やかな色だったであろう。
えらく下世話な話になるが、この展覧会に展示されている「大日如来坐像」は、2008年3月にNYのクリスティーズにおいて12億5千万円で真如苑が落札した。同年5月にはNYのサザビーズで村上の「My Lonesome Cow Boy」が16億円で落とされている。
建築に携わり、また特に磯崎さんの身近にいると「重源上人坐像」が気になる。東大寺の大勧進=建築家。かつて天竺様、今は大仏様と呼ばれるエクストリームな建築方式の総合プロデューサーだったが、後継はいない。この建築方式は重源が大勧進職にあった時のみ現れ、重源の死とともに消える。東大寺大仏殿、南大門、浄土寺浄土堂。その老重源の坐像は重源の死後つくられ作者不詳とされているが、自由な木彫は運慶自身が関わっていたと思いたい。抽象化一歩手前の勢い。重源本人が見たならば決して喜ばないであろう、悪とも結ぶ冷徹な視線。小仏師たちが運慶の指導を受けながら念入りに造ったオブジェクトとして完成度の高い仏像群と比べると、濃厚に未完の気配も漂う程の自由を感じるからだ。
2017年11月19日日曜日