日本の家
日本の家
招待券を送ってくださった方のおかげで、終わる間際に見ることができた。
展示計画では13のテーマ云々、ということのようだったが、見た印象は①丹下健三邸(1953年)②世田谷村(石山修武1997年〜)③その他(主に21世紀)の3部構成と云った印象。日本の都市住宅から庭が消え、家が自然から切り離される過程そのものを展示しているようにも感じた。
①丹下邸は大地から浮かんでるけれど、その下には庭があった。どこぞの「将来の家族構成の変化に対応し家と庭の隙間を利用する」などというプラグマティックな貧乏臭いアイデアとは無縁の、毅然とした堂々たるピロティである。道路との境界に塀も無い。切妻一層の木造住宅は庭から浮かび自然から離陸したように見えるが、庭の自然あったればこその計画と言ってもいい。実物を見る機会を永遠に失ってしまったことが悔やまれる。庭で開かれた磯崎さんの結婚披露宴を撮った映像が流れていた。展覧会を篠原スクールの御仁がまとめたこともあってか、磯崎さんの住宅作品は黙殺され彼が登場するのはこの映像だけ。
②1950年代初頭、戸建て住宅を増やそうとする住宅政策が、現在のような袋小路に入ることなど政策立案者のレベルでは誰も予想できなかったのだろう。日本中が血眼で一戸建てを造り続けた挙句、20世紀末になるとまともに住宅を建てる場所そのものが都心から失われてしまった。石山修武の自邸世田谷村は、増築するには余地が無い敷地に建つ瓦葺きの木造平屋住宅を残し、その上部に鉄骨造で人工的に地盤を造った力技である。失われた庭をもう一度空中に造る。ネブカドネザルの夢よもう一度。庭が無いのなら、空中に造ってしまえ。世田谷村は、この人工地盤を造り植物を屋根に植えることに建築家が集中し、構造以外の部分には興味が向いていない。ここで育った映画監督・石山友美の撮る映像は、建築の内部を撮ったものというよりは、風景を撮影したもののように感じる。歴史家じゃないから勝手なことを思うが、日本の家の戦後史は、丹下邸に始まり世田谷村に至る庭喪失の歴史なのかもしれない。
③その他。学園祭の展示と見紛う。この部分が無くても①②で展覧会は成り立つ。例外的に庭のある郊外住宅/別荘はさておき、21世紀の都市住宅は、自然から隔離され、内向きの細かいしつらえに心を砕いた、ヒキコモリ的病理現象と同根の現象にも見える。
近美の常設はいつもながら焦点の定まらないデパートの特売場的展示だけど、今回は舟越保武の「原の城」が好印象。だが階段室に放置されているような展示は何とかしてほしい。
2017年10月27日金曜日