Makkah Royal Clock Tower
Makkah Royal Clock Tower
機内映画は興味のあるタイトルがなかったので、テレビ番組を見た。メッカ、カーバ神殿の脇に聳え立つ「世界最大の時計」製作のドキュメンタリー。グリニッジ標準時に対し、イスラム標準時こそが正統であり、その時を刻むための時計を作るというコンセプト実現の過程。見入ってしまった。高さ601m、延べ床面積150万m2。塔の中身は巡礼者用のホテルになっていて、フェアモントがオペレーションしている。塔の輪郭はロンドンのビッグベンに似ているが、時計部分の面積比で36倍もあるという。こういうのはスケールアウトと呼ばれると思っていたら、オイルマネーの方々は「世界一」と称し、もしかしたら誇りにさえ思っているようだ。ヴェネチアで作った金箔貼りのタイルが外装に使われ、頂部には純金のミナレット。塔の足元では巡礼に来たムスリム達が反時計回りにカーバのまわりをまわっている。時計は電力で動く。ムスリム達を動かすエネルギーは何だろう。
贖宥状を売って大本山・サンピエトロ寺院の建築費用を得るカトリックの状況に疑義を呈したルターは宗教改革の切っ掛けとなった。来年で500年になる。ムスリムの世界にも近々マルチン・ルターが登場するのではないか。
折しもイスラム諸国はハッジ(大巡礼)の季節。毎年この時期のメッカでは巡礼者が事故に巻き込まれるなどして多数の死傷者が出る。宗教的行事での死者といえば諏訪大社の御柱祭が連想されるが桁が違う。将棋倒し、火事、暴動、テロ、航空事故と原因は様々だが、wikiには下記が記されていた。
▶1973年1月22日:ロイヤル・ヨルダン航空のボーイング707がナイジェリアカノで墜落し、メッカから戻る予定だった巡礼者176人が死亡▶1974年12月4日:マーティンエアー138便がスリランカコロンボ近郊に墜落した。この事故でインドネシア人の巡礼者182人と搭乗員9人が死亡。▶1975年12月:可燃性ガス缶が原因でテントが燃え、200人の巡礼者が死亡▶1978年11月15日:アイスランディック航空001便墜落事故によって、183人が死亡▶1979年11月26日:パキスタン国際航空740便が旧ジェッダ国際空港から離陸した直後に墜落した。156人が死亡▶1980年8月19日:サウジアラビア航空163便火災事故によって、301人死亡▶1987年7月31日:イラン人巡礼団の反米デモ隊が、サウジアラビアの警官隊と衝突し、少なくとも400人が死亡、1,000人以上負傷▶1989年7月9日:2個の爆弾が爆発し、1人死亡、16人が負傷。当初イランの工作員の犯行とみられていたが、クウェートのシーア派イスラム教徒16名を処刑した。▶1990年7月2日:Al-Ma'aisimトンネルで将棋倒しが発生、巡礼者1,426人死亡▶1991年7月11日:ナイジェリア航空2120便墜落事故によって、261人死亡▶1994年5月23日:儀式での投石中に将棋倒しで、270人が死亡▶1997年4月15日:テントが燃え、343人死亡、1,500人負傷▶ 1998年4月9日:ジャマラート橋で事故が発生118人圧死、180人が負傷▶2001年5月5日:儀式での投石中の将棋倒しで、35人が死亡▶2003年2月11日:儀式での投石中の将棋倒しで、14人が死亡▶ 2004年2月1日:儀式での投石中の将棋倒しで、251人が死亡、244人が負傷▶2006年1月12日:儀式での投石中の将棋倒しで、少なくとも346人が死亡し、289人以上が負傷▶ 2006年12月:243人が死亡、多くが高齢者で巡礼の疲れと気温によるものであるとサウジアラビア政府は発表している。▶2006年12月:バス事故によって、イギリス人3人が死亡、34人が負傷▶2006年1月5日:Al Ghazaホテル倒壊で76人死亡、64人が負傷▶2011年11月1日:2台のバスが移動中、先頭のバスから煙が出ているのを発見。無線で停止と避難を呼びかけたが、夫婦2人が3回の爆発に巻き込まれ死亡▶ 2011年11月:交通事故でアフガニスタン人13人が死亡し、数十人が負傷▶2015年9月11日:クレーンがモスクに落下、107人超が死亡、230人以上が負傷▶ 2015年9月24日:ジャマラート橋に別方向から来た2つの大グループが殺到し将棋倒しが発生、少なくとも2,181人が死亡
ハッジはあらゆる意味で命懸けだ。2015年9月の事故を契機にイランとサウジは断交し、イランは今年の巡礼不参加を決めている。
残念ながらムスリム以外はメッカに立ち入ることが出来ない。「世界最大」の時計塔も映像でしか見ることは出来ない。
(上の写真は工事中の時計塔、左下の小さな黒い箱がカーバ神殿・下の写真は類似の時計塔との同縮尺比較、右上がビッグベン)
2016年9月10日土曜日