富岡製糸場
富岡製糸場
6月11日。MIT(前橋工科大学)での版築見学の後、足を延ばして世界遺産指定で話題になった富岡製糸場を見学することにした。
蚕の繭は長さ1キロに及ぶ一本の糸からできている。その繭からどうやって糸の端部を見つけるのか前から不思議だったが、漸く謎が解けた。繭を煮ながら、稲藁で作った刷毛のようなもので表面を撫ぜているうちに糸の端部が見つかるという。稲藁ってとこがいい。稲藁にひっかかった糸の端部を数本まとめて撚り合わせ一本の糸を作る。これが生糸。製糸業の近代化とは、この一連の面倒で繊細な作業を機械で自動化することに他ならない。
富岡製糸場の白眉は、この繭から糸をとる機械(繰糸器・そうしき)を300釜並べた繰糸場と呼ばれる建築である。木骨レンガ造平屋、東西桁行140.4m、梁間12.3 m、桟瓦葺き切妻屋根、小屋組はキングポストトラス。南北面は全面透明ガラスのサッシュが入り、白く塗装された内部は極めて明るい空間になっている。東側妻面の入口を入ると、一点透視図法で300釜の繰糸器が無限遠から迫ってくる。壮観である。凄いスピード感だ。ああ、これが近代化だ。だが繰糸器のある部分には稲藁で作った刷毛のようなものがいくつも付いていて、近代化されたとしても糸の端部を見つける最適の道具が稲藁だと云うことに安堵する。
初代場長・尾高惇忠、その娘で工女第一号・尾高勇、淡野さんの御親戚筋の方々のパネル展示に目を通し、明治初期の激動期に道を探した先達のエネルギーに圧倒される。
それにしても世界遺産に指定された施設周辺の町が、日本全国どこもかしこも似たような姿になるのは何故だろう。雨後のタケノコのように不要な土産物屋がニョキニョキ生えてきて、風情も何もあったものではない。とどめを刺したのが最寄り駅の上州富岡駅舎。誰が設計したのか知らないが(知ってるが)はやりのミニマルなデザインを、安価な材料、安直なディテールで施工してしまっているため、雑誌撮影時にのみ見栄えがするただの安普請になっている。築年数はそれほど経っていないのに劣化が激しい。これでは世界遺産も浮かばれないと思ってふと壁を見たら、建築学会賞の銘板。建築学会賞もネタが尽きてきたか。
2016年7月6日水曜日