広島 3-2
広島 3-2
夕方の新幹線まで少し間がある。呉市吉浦に行くことにした。ここは父が生まれ育った町。であると同時に義母が子供の頃を過ごしたことが結婚後に判明して驚かされたその場所でもある。さらに、淡野弓子さんのご実家が大野の実家と道を挟んだ「お向かい」だったことも明らかになり、ボクにとって地霊的なものが取り憑いて時空が歪んでるのではないかと思わされる場所。まだ親戚があった頃に何度か行ったことがある筈だが、池の鯉のおぼろげな記憶以外は忘却の彼方。45年以上来たことがない。だがいまだに本籍はこの町だ。
父と義母はこの町で、原爆の光、音、雲を体験している。広島市内から続く死体、負傷者を運ぶ列を見ている。
町は南側が瀬戸内海に開け、3方を山に囲まれている。1キロ四方ぐらいが平坦な居住域。小さい駅前にタクシーが待っていたことが驚きだったが、それに乗って町の北端まで行き、記念撮影。同じタクシーで戻って町の中央部にある、父と義母の出身校・吉浦小学校正門前で記念撮影。そこまで乗ってほとんど基本料金ほどの小さい町である。あとは歩いて本籍の住所を頼りに父の実家/淡野さんの実家があったであろうあたりを散策しながら撮影。戦時中に大野の実家は土地ごと国に接収されてしまって跡形もないことは分かっていた。それでもその辺りを歩いてみたかったのだ。(写真は現在の吉浦中町交差点。右側辺りが淡野さんのご実家、左側辺りが大野の実家。この道路をつくる時に、どちらの家も消滅してしまったと思われる。)
小さな吉浦駅で駅名看板を背に記念撮影して広島に戻る。何故かホッとした。もう吉浦に来ることはないかもしれない。
2016年5月4日水曜日