広島 3-1

 


朝、ホテルのテレビをつけてみると15年前のプロジェクトXの再放送が始まった。「史上最大の集金作戦・広島カープ〜市民とナインの熱い日々〜」と題して、原爆の壊滅的な焼跡から生まれた市民球団の最初の監督「野球の鬼・石本秀一」にスポットを当てて番組が進行する。目が釘付けである。カープは他の球団と違い(1967年からマツダが筆頭株主になったものの)大企業を親会社とせず、市民が支え生まれ育ったチームである。原爆の惨禍から金もないのに立ち上がってきた球団を誰が応援しないわけがあろう。負けても負けても負けても負けても負けても負けても可愛いのだ。1975年、カープ初優勝の時、赤い野球帽をかぶりうれし涙を流した小学生が、40年以上経ち、今度は広島の地で中島みゆきを聞きながら朝から涙を流すハメになった。恐るべしプロジェクトX。


スタバで朝食を食べてから平和記念公園を再訪。一昨日行けなかった「国立広島原爆死没者追悼祈年館」に行くと、ちょうど「被爆体験記朗読会」が始まるところ、参加した。普段は修学旅行の中高生向けのプログラムらしい。10分ほどの原爆関連の映像が流れた後、3人のボランティアの方が、当時の子供が書いた「原爆体験記」「原爆詩」を朗読する。凄い言葉の力だ。文字を読む視覚情報としてではなく耳から入ってきた言葉が心臓をわしづかみにする。日曜礼拝毎の聖書朗読も、クルアーンの朗唱も、あるいは読経も、言(ことば)=音の力に信頼することに他ならない。朗読会というのに初めて参加したが、これほど激しく揺さぶられるとは想像していなかった。あらためて朗読の力を知る。


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1:1)

 

2016年5月4日水曜日

 
 

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