広島 2-1
広島 2-1
憲法記念日。朝食の喫茶店で朝日と産経の朝刊を読み比べる。
原爆ドームの脇から船に乗って宮島に向かう。上陸すると雨が降り始めた。
厳島神社は軸線の建築だ。
建築史家・鈴木博之は次のように書いている。
原爆ドームからHPシェル型の慰霊碑を経て、平和記念資料館のピロティの間を貫いて延びる軸線は、厳島神社の弥山から本殿を経て海中の鳥居にいたる一本の軸線とまったく同じ性格を秘めているからである。厳島神社の本殿が弥山を背負い、さらに厳島全体を負っているのと同様に、慰霊碑は原爆ドームを背負い、そのドームはさらに広島の町全体を負っているのである。(鈴木博之『日本の地霊』)
軸線の扱い同様、建物の意匠そのものにも厳島神社と平和記念資料館には近親性が認められる。即ち、あっさりとした、どちらかというと素っ気ないデザイン。デザインというよりは機能に従った形体を纏っているだけである。見学順路に従って屈曲しながら歩くと、厳島神社には彫刻的・装飾的要素がほとんど無いように感じる。必要不可欠なものだけで構成されているようだ。単純な部分を組合せ、高度な美意識によって統合する姿は、丹下が目指した現代建築の抽象にも通じるんじゃないか。さらに類似しているのは、満潮時には船の如く海に浮かぶ建築が、潮が引くとピロティーの上に載るコルビュジェ的/丹下的姿を披露してくれることだ。学者じゃない旅行者だから勝手なことを思ってもいいのである。
文化財に良くあることだが、厳島神社も部分的に修理をしていて、そこは仮囲いのシートで目隠しされている。そこを覗くと、水に浸かって傷んだ柱の下部を切り新しい材料で継ぎ換える作業中。大工とその弟子2人組だ。今は干潮だが、海水を堰き止める仕組みは無さそうだし、潮が満ちてきたら作業出来なくなるんじゃなかろうか?高度な技術を持ってる熟練の匠、という風にも見えない2人組が国宝建築をギコギコ切ってる。それを見越して当初から高度な技術が必要な装飾要素を削いだ素っ気ない姿をしているのかも知れない。学者じゃないから何でも言えるのだ。
大雨だ。靴の中が濡れて気持ち悪い。何が嫌いだって、靴の中が濡れる程嫌いなことはない。いずれ晴れの日にも来るぞ、待っておれ。
広島に戻ってスペイン風バルでバルタザールと云うワイン。天気ははずれだったが、食事はあたり。
2016年5月3日火曜日