Soli Deo Gloria vol.321
Soli Deo Gloria vol.321
教会総会の後は、Soli Deo Gloria 。自分が出演していないコンサートは安心して聴ける。
H.シュッツ:「小宗教コンチェルト第2集」 より
第14番 <われ膝を屈す>
H.シュッツ:「宗教合唱曲集」より
第24番 <わが神の御旨、常に為されん>
J.S.バッハ:カンタータ第144番より
コラール <わが神の御旨、常に為されん>
J.S.バッハ:カンタータ第108番
<わが去るは汝らの益なり>
H.シュッツ:「宗教合唱曲集」より
第12番 <神はそれほどまでに世を愛された>
昨日の紀尾井と何が違うのだろうか。
紀尾井のコンサートは、企業メセナとはいえ入場料で収入を得て運営費用に充てる経済行為である。チケットを手にした聴衆は座席の背に書かれたマイナンバーを探して座り、行儀良く同じ方向を向いてその制度にドップリ浸かる。緻密な音響設計のホールでバランスの良い音が遠くで鳴っている。
本郷教会のSDGは「お金のニオイがしない(淡野弓子談)」。シュッツが好き、あるいはバッハに興味がある、または普段できないような曲を演奏することも多いのでそれにつられて演奏者として参加するむきもあるとは思うが、基本的には演奏者も聴衆も神賛美=信仰の一形態としての演奏会参加である。大概ステージ上より客の数が少ないが、演奏者聴衆一体の賛美であることを思えば、人数はたいした問題ではない。そして、お金のニオイがしない。客が少なくても入場料をとるわけではないので平気である。そんな事気にしていたら321回も続けられない。
Soli Deo Gloria はバッハが作曲し終える度に楽譜の最後に記したラテン語で「栄光ただ神にのみ」という意味。教会で楽の音を鳴らすと、その賛美の音に包まれる。単に本郷教会の礼拝堂がコンサートホールに比べて容積が小さいという物理的な問題ではないだろう。
新しい歌を主に向かって歌え。
全地よ、主に向かって歌え。(詩96)
2016年4月24日日曜日