ZAHA HADID

 


1985年、GAギャラリーで開かれていたザハの展覧会は見逃してしまったが、それを見た同級生達の興奮振りが気になって、展覧会後に発行された『GA ARCHITECT-5  ZAHA M. HADID』を入手した。香港ピークのコンペで没案の山の中からザハ案を拾い出し一等に推したのが、審査員・磯崎新だということも、その時期話題になっていたように思う。


ザハ本人を初めて目撃したのは2002年。まだヴィトラの消防署ぐらいしか実作は無かっただろうが「女王」の風格で周囲を圧していた。


「あ、ジャバ・ザ・ハットだ。」

「いや、ザハ・ハディドだ」


汗ばむような気候のヴェネチアである。ビエンナーレ開催中のアーセナル入口近くのカフェで小さな椅子に巨体をあずけ、ペットボトルのコーラを一気呑みしてでかいゲップをしている(あくまで記憶の中での印象)のがザハその人だった。


ザハの作品を初めて実見したのは2010年頃の韓国ソウル、東大門のスタジアム跡地に施工中のDDPだった。いくつかのフェーズに分けて計画されていたのだろう、まずランドスケープと一体化した部分が出来ていたので見学した。地表から顔を出したり潜ったり、建築とランドスケープが分ち難く一体化していて、素晴らしい空間体験を与えてくれる。高層ビルに囲まれたソウルの繁華街の真っ只中に低層の施設を計画させた行政の英断も功を奏した。2014年、アルミで覆われた地上部分が完成した後も、スピード感溢れる空間体験の愉悦は失われるどころかいや増している。具体的なプログラム無しで建築計画が始まったということが、ザハの造形力が自由に発揮されたこのDDPの強度を支えている。廃墟になればさらに美しくなるだろうと思わせてくれた。ソウルが羨ましい。


ザハはまだ65歳だった。残念と云うだけでは喪失感を言い表せない。

 

2016年4月1日金曜日

 
 

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