三笠宮と乗松和子(のりまつ・まさこ)

 


10月は旧知の方々が多く亡くなった。


10月27日には、三笠宮が100歳で逝去。なぜ三笠宮のことが気になったかというと、1915年12月2日に彼が生まれた青山御所の産殿で産婆役をつとめた乗松和子(まさこ)は、ボクの父方の祖母の叔父、「朝鮮のおじさん」と呼ばれていた乗松雅休夫人だからだ。


(以下は藤尾正人さんのブログから拝借 http://www.t3.rim.or.jp/~fujio/Roujin/himaroujin.6.html)


明治天皇がなくなられ、大正天皇の即位の大典が京都で行われた大正4年11月10日のその日に、大正天皇の皇后(のちの貞明皇后)に召されて和子夫人は青山御所に入った。ヤソ教(キリスト教)の伝道者の妻であり、5年も朝鮮に住み、前年の大正3年8月に小田原へ帰国したばかりで、医療現場から離れていたこともあって、反対する声もあったが、「マサ子を呼べ」との皇后の一声で決まったという。


じつは和子夫人は乗松雅休と結婚前、日本赤十字社の第3代看護婦総監督で、三笠宮の3人の兄・昭和天皇、秩父宮、高松宮の出産にも看護婦として立ち会っていて、皇后とも熟知の関係で信頼が厚かったと、孫の乗松恒明さんから聞いた。(同信社「恥はわれらに ほまれは神に」p.160 <4人の看護婦長>)。


貞明皇后はキリスト教に関心が深く、宮内次官・関屋貞三郎夫人で、聖公会の熱心な信徒であった関屋衣子に「わたしが皇族でなければ、クリスチャンになったのに」と語ったという。これは衣子の娘・平福恵美子さんの話。だから乗松和子にも理解があったはず。

 

2016年11月6日日曜日

 
 

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