イブン トゥールーン モスク

 


I.M.PEI 設計のイスラムミュージアム@ドーハがこれを参照しているときいて、かねてから一度見ておきたかった。観光客皆無。


現存するエジプト最古のモスク(9世紀末竣工)。モスクは、がらんどうと云って良い空間の中に、カーバ神殿=キブラの方向を示すミフラブと呼ばれる壁の窪みさえあれば成立する。モスクではこのミフラブを手掛かりに祈りを捧げる方向を決める。このモスクはレンガ、漆喰という素朴な材料でつくられているが、壁の一部に石柱やガラス、タイルを用いて、突出して手の込んだ場所が目立っている。そこがミフラブ。ついマリア像を拝んでしまうような異教徒はミフラブが祈りの対象であるかのような錯覚をしがちだが、ミフラブは只の目印なので、この窪みの中で昼寝したりしてもかまわない。イスラムは徹底して偶像崇拝を遠ざけている。


建築全体は、一辺92mの正方形平面の中庭を尖頭アーチのアーケードが3辺をそれぞれ2重に取り囲み、ミフラブがある壁側のみはアーケードが5重となっていて中心的な礼拝場の面積を確保している。そこまでを一旦壁で囲い込み、モスクの最外周に立つ壁との間を外庭として、二重の壁によって街の喧噪から遮断されている。ミフラブと反対側の外庭には螺旋形の塔=ミナレットが聳える。中庭を囲むロの字型のアーケード部分はレンガで積んだ壁に尖頭アーチの開口を設け、木造の軽い陸屋根を載せているのだが、レンガであること(石でないこと)を差し引いても壁柱が過剰に大きく、アーケードの中で中庭から遠ざかるとカイロの強い日射しも届かない程に薄暗く見通しが良くない。そのことが極めて単純な構成のこの建築に魔宮的な深みを与えているのかもしれない。


だがこのモスクの最大の見所は中庭の中心にある泉亭である。I.M.PEIがドーハでパクったあれだ。竣工時は別の姿をしていたが、13世紀に増築され今の姿になった。ミフラブが示すメッカに対する単一の方向性と、この泉亭が持つ強烈な求心性がこの中庭では併存していて、不可視の磁場の拮抗がそこにいる人に緊張感を与え続けている。


モスクの中では靴を脱ぐ。裸足でカイロの日射しに焼かれた石張りの中庭を歩くと、泉亭に辿り着く頃には「焼けたトタン屋根の上の猫」状態になってしまう。灼熱のカイロではあまり機能的な配置計画とも思えない。それとも、かつて中庭には日射しを遮る仮設的な屋根が常設されていて、石畳の熱さも、泉亭の存在感も、今日ほどでは無かったのだろうか。


螺旋のミナレットの最上部まで登ってみた。見下ろせば、モスクの幾何学的荘厳、宗教的崇高さをまとう静謐な造形が、カイロ旧市街の無計画に広がった掃き溜めのようなスラムの喧噪のまっただ中に鶴のごとく着地しているさまが見て取れる。イスラムのある伝承によれば、ノアの方舟はこのモスクの建っている丘に漂着したという。


今日からラマダン。(写真はミナレットから見下ろしたモスク)

 

2015年6月18日木曜日

 
 

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