BWV146

 


本郷教会のSDG(Soli Deo Gloria 〜賛美と祈りの夕べ〜)では、バッハのカンタータを教会暦に合わせて演奏している。登録している器楽演奏者3〜40人程のうち、曲の編成に合わせて都合のいい人が参加するシステムになっているのだが、毎回分担がうまくいくわけでもない。今回はオーボエパートをヴァイオリンで弾く事になって、いろいろ面白い発見があった。


まず景色が違う。普段見慣れている指揮者が反対の方向に立っている。今まで隣で弾いていた人たちが向かい側に座っている。ヴァイオリンは演奏姿勢が体の中心軸に対して非対称であることもあり、右か左かというのは、結構影響があるかもしれない。


聞こえてくる音も違う。特に今回隣で吹いている後藤望実君のすばらしいオーボエ。オーボエと言うのは管の先端から音が出ているのだなあと再認識することになった。隣で音を出しているからと言って、直接音がズドーンと聞こえてくるわけではない。一旦管の先から出て管の向く方向遠方に飛んだ音が、何かに反射して戻ってくる、その間接的な反射音が良く聞こえてくるのだ。むしろ、指揮者を挟んで反対側に座っていた方が、管の先から出てくる直接音がより大きく聞こえてくる。


さて、BWV146の第一楽章はオルガンコンチェルト。演奏者の相互距離は小さい程良い。音の速度は案外遅いので、演奏者の距離が離れると、聴いていても直ちに分かる程のあからさまな時差が生じる。それを少しでも防ぐため、1楽章はパイプオルガンの鎮座しているバルコニー席に演奏者が集まり、2楽章以降、オルガンの山口眞理子さん以外の演奏者は移動して一層下のステージで合唱メンバーと合流することになった。


ただ、演奏者間の距離がどうであれ、聴衆として聴く人の位置がどこであれ、ずれるものはずれる。しかも聴衆は左右に一つづつ耳を持っていて、左右の耳にそれぞれ届く様々な音は、時間差の集合体だ。そのような、宿命的にズレを内包した演奏が演奏として成立するとすれば、距離の違いなど無関係の、無限遠にいます方に向かって信念を持って発された音だからだと言う他は無い。


高校時代の同級生三美人が聴きに来てくれた。感謝。

 

2015年4月27日月曜日

 
 

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