アレキサンドリア 覚書
アレキサンドリア 覚書
今から2300年程前、「大王」と呼ばれたマケドニアのアレキサンダー3世は、ペルシャのダレイオス3世との闘いでエジプトをペルシャから奪取。アレキサンダーは、地中海に面する小さな漁村が貿易港・軍港として理想的な立地にある事を見抜き、建築家ディノクラテスに都市=アレキサンドリアの建設を指示する。
アレキ亡き後、後継者争いの中からアレキの学友・エジプト総督プトレマイオスが台頭。プトレマイオス朝を興す。アレキとプトレは2人とも少年時代にアリストテレスを師としていた御学友。学問の重要性を深く理解していたプトレは、ギリシャをはじめ世界中から学者を招き、施設を整え、学術都市の基盤をつくりあげる。これがムセイオンの始まり。付属施設として図書館があり、世界の知を全て収集する目標に向かって邁進していた。
現在のビッグデータ収集と何が同じで何が違うのか?
新・アレキサンドリア図書館(2002年竣工)について松岡正剛がどこかで言っていたのを思い出しググってみたら『千夜千冊959』だった。せっかく作った図書館もセイゴー先生に言わせるとケチョンケチョンである。問題は何か?
▶21世紀にヘレニズムがあるとすれば、それをアラブ世界が抱き込もうとして何を検討したのか?▶アレクサンダー大王及びプトレマイオス朝が創設した都市アレキサンドリアから何を再生しようとしたのか?▶21世紀の「知の殿堂」としての図書館はどうあるべきなのか?
セイゴー先生は「これは古代アレクサンドリア図書館の理想をとうてい超えていないどころか、仕方のないことではあろうけれど、エジプトが各国の出店プランをあれこれ収容した観光施設におわっている。」と断定。「行こうかなと思ったが、やめた。」
さて、E-JUST(Egypt-Japan University of Science & Technology/エジプト日本科学技術大学)では、何をすべきか?
今はまだ疑問符ばかりでがんじがらめである。
2015年4月25日土曜日