母の死

 


2015年4月5日 土曜夜の月食が終わった後、イースターの日曜日、母死す。4月10日は92歳の誕生日の筈だった。父と同様、本人の意思によって正常解剖のため医大に献体した。御言葉と賛美と祈りで、母を送り出す。


主はわが牧者(ぼくしゃ)なり

われ乏しきことあらじ

主はわれをみどりの野にふさせ

いこいの汀(みぎわ)にともないたもう

主はわが魂を活かし

御名のゆえをもて我を正しき道にみちびきたもう

たといわれ死のかげの谷をあゆむとも

わざわいをおそれじ

なんじ我と共にいませばなり

なんじの笞(しもと)、なんじの杖、われをなぐさむ

汝、わが仇(あだ)のまえに

わがために宴(えん)をもうけ

わが頭(こうべ)に油を注ぎたもう

わが酒杯(さかずき)はあふるるなり

わが世にあらんかぎりは、かならず恵みと哀れみと我にそいきたらん      

われはとこしえに主の宮に住まん

(詩23篇)


主よみ手もて(讃美歌21・504)

主よ、終わりまで(讃美歌21・510)

わが行くみち(讃美歌21・463)

 

2015年4月10日金曜日

 
 

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