柴田南雄『宇宙について』
柴田南雄『宇宙について』
どちらかというと恥ずかしくなる程大上段に構えた曲のタイトルだが、演奏をひとたび聴いてしまうとこのタイトルしか無いことが了解できる。
プログラムに記載された淡野弓子の文章から下記部分転載。
音楽もさることながら、筆者が甚く共感したのは「歌詞」であった。この選択には夫人である純子氏の識見が大きく働いている。日本語の合唱曲というと圧倒的に抒情詩が多く、ここに集められたようなテキストを歌う、ということは我々にとってほとんど初めてのことといってよい。
そこには日本語の古文、現代文、詩文にニコラウス・クザーヌス『知ある無知』よりの言葉(ラテン語/日本語)、およそ400年前にやってきたポルトガルの宣教師から教えられたラテン語、ポルトガル語の祈祷文、それが日本語に転訛し、日本語と入り交じったもの(おらっしゃ)、そして経文(華厳経)である。すべて諸国の神話や民謡と係わりを持つ宗教的な言葉を語り歌うということ、それは、特別な教育を受けたものがステージの上で披露する名人芸とは全く異なる動機と目的を持つ。しかしここで興味深いのは、時代も国も宗教も異なる歌でありながら、歌う人々の声にはなにか根源的な、不思議な共通点が感じられることである。誤解を恐れずひと言で言うなら、全てを一つとするエネルギーが、各々の声に潜んでいるのだ。
天地の創造を思わせる混沌と、倍音の秩序に基づいた音の構築。相反する複数の要素を一つの世界にまとめあげた作曲家/演奏者に喝采。
2014年9月15日月曜日