8月6日
8月6日
自治体のスピーカーが黙祷を促す朝8時15分、69回目の8月6日。スマホの青空文庫で原民喜の『夏の花』を読む。
両親は揃って広島県生まれだった。ボクが産まれる前は学校や仕事で長崎県にも暮らしたことがあり、その後長い間(第5福竜丸の)静岡県にも住んでいた。生前父が迎えた最後の誕生日、2011年3月11日は、大震災と福島の原発事故。「こんなことがおこるとは、思ってもみなんだ」とつぶやいていた。父のように、人生を通して核の暴走を目撃し続けることになった人間もいる。
原民喜が小説と言う形式を用いて書いた原爆の記録は、被爆者の証言、そして実際に残されている写真や映像によって、現実を極めて冷静に描写していることが明らかである。ただ、言葉による記録を正確に、深く、読解することは、ある種の能力を必要とする。そして残念なことに、視覚的刺激に慣らされた現代人の大多数はその能力を失いつつある。
もし映像史料が無ければ、「原爆は戦争を終わらせるために役立った」などと主張するだけではなく、そのうち「原爆は無かった」などと言い出す輩が出てこないとも言い切れない。(例えば「南京大虐殺」は、決定的な映像史料が少ないこともあり、その規模・存否も含め愚かな論争に歯止めがかからない。)
写真や映像すら捏造出来る時代には、信じられるのは言葉の力だと言う他は無い。だが、原爆から69年経ち、被爆者から直接証言を聞く機会は永遠に失われようとしている。困難な時代が来た。
2014年8月6日水曜日