愛子さんを悼む

 


8月20日、宮脇愛子さんが亡くなった。85歳の誕生日を来月に控えていた。


愛子さんの想い出は、全て詳細まで鮮明だ。


初めてお目にかかったのは1989年、磯崎アトリエの新人歓迎会。伝統的に新人が自分でパーティーの準備をすることになっていて、パーティーが始まった時には疲労困憊の極致。初めて会う愛子さんに、自己紹介がてらエジプトで遺跡を発掘していたことをお話しすると、くぐもった独特の低い声で「あらまあ、砂漠でこんなになっちゃって、、、」余程薄汚くヨレヨレに見えたのだろう。


同年、軽井沢の別荘を初めて訪ねた時には、「アトリエの連中は私のこと怯えてるようだけど、あなたは違うわねぇ」


91年から携わった奈義町現代美術館も忘れ難い。「先に3人の作家に3つの作品を構想してもらい、後から建築が覆いを掛ける」という順序そのものが、新しい世代の美術館のコンセプトでもあり、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎とともに、愛子さんとは濃密な時間を過ごさせていただいた。現場でも記憶に残る出来事が。その日は近くのうどん屋で昼食をとった後、現場に戻ってみると、愛子さんがオデコを氷で冷やしている。恐る恐る状況を訊いてみたら、美術館の中で文字通り走り回る愛子さんが、竣工前の清掃で磨き上げられた床まである”大ガラス”に顔面から正面衝突したという、、、、この時は死刑になるかと思った。


カタールの王子、シェイク・サウドの住宅に『うつろひ』を計画した時には既に車椅子の生活を余儀無くされていたが、長距離の移動をもろともせすミラノ、ドーハ、世界を飛び回っていらっしゃった。


昨年、今年と新作を次々発表された。長い闘病にも関わらず、衰えない創作意欲を集中させ作品に結実させて行く姿は、かつてお元気だった頃に比べてもアーティストとしての凄みを増していた。


本気で怒って下さる方が、また一人先に旅立たれた。もう一度叱って欲しかった。

 

2014年8月22日金曜日

 
 

▶

◀