ガラシャ 2

 


またガラシャ。


関ヶ原の戦い直前、夫・細川忠興の留守中、大阪の細川邸にいたガラシャは石田三成から人質となることを求められたが拒絶し、屋敷に火を放ち自決する。


イエズス会の史料『1600年の日本年報』には、


火が消えた後、パードレ・オルガンティーノは、一人の敬虔なキリシタンの女性に他の女性たちを伴わせて、ガラシャの死んだ場所に遺体のあたりに何か残っていないかを探すために派遣した。彼女たちは完全に焼けていなかったいくつかの骨を見出した。


とある。ガラシャに洗礼を授けたオルガンティーノが、ガラシャの葬儀と埋葬を執行した。この葬儀は教会で行われた。


彼女の墓所と伝えられる場所は何カ所かあるようだ。オルガンティーノが焼けた屋敷跡で拾わせた骨を分骨したのだろうか。崇禅寺(大阪)、泰勝寺(熊本)そして大徳寺高桐院(京都)。


高桐院の「ガラシャの墓の隣」に墓地一区画を入手した夫婦を知っている。彼らの生き方は、ガラシャとは縁もゆかりも無い。

 

2014年7月31日木曜日

 
 

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