マタイ
マタイ
ほとんど諦めていたのだが、奇跡的にポッカリ時間が空き、淡野弓子さん指揮の『マタイ受難曲』に出かける事が出来た。満開曇天の桜が丘を登っていくと「渋谷区文化総合センター大和田」という施設。初めて来た。
職業病だ。4階ホールまでのアプローチに問題があることをすぐさま指摘したくなる。動線計画が貧弱になるのは、建築に盛り込もうとする機能に比べ敷地面積・容積が十分ではなく、多くの施設を無理矢理縦に積み重ねているからだろう。保育園、プラネタリウム、伝承ホール、図書館、多目的アリーナ、渋谷区医師会、女性センターアイリス、いきいきシニア大学と称する施設に至るまで民主的に意見を拾い上げ、全てに及第点を出そうとした挙句、本来必要な部分が圧迫され中途半端なものが出来てしまうという分かり易い事例のひとつだろうか。こういう施設の良し悪しは、発注側/プログラム作成者の差配にかかっている場合が多い。
肝心の受難曲の前に、余計な事を考えさせないで欲しい。
前回は2010年3月に演奏者として参加させてもらった。あれから4年も経つのだな。今回は客として下手側バルコニー席の最前部に座って舞台を俯瞰できたので、知った顔を見るとあたかも自分が演奏者として参加してるのではないかと錯覚する程に空気を共有出来る。その上、マタイ/バッハは、この作品が大工の息子の死刑執行にまつわる単なる昔話ではなく、ボク自身が十字架の刑場のまさにその場に当事者として立ち会っていたのだと迫ってくる。音楽には、記憶中枢を揺さぶり時空を引き寄せる強度がある。ベタニアの女が歌うアルトソロで涙が流れ始めた。
終演後ホールの外に出ると、万朶の桜に雨。折り畳み傘は持ってるけど濡れて行こう。雨女・淡野弓子の面目躍如たる夜だ。
2014年4月3日木曜日