イスラーム
イスラーム
耶蘇がイスラームについて学ぶ機会は一般にはあまり無いだろうが、振り返ると、エジプト、カタール、そしてサウジアラビアと、イスラム世界の仕事に関わることが多く、ようやくイスラムについて真面目に学ぼうという気になっている。
イスラームと言えばクルアーン。かつてはコーランと言われていたあれだ。ボクが大学に入学した時には既に鬼籍に入っていた吉坂隆正は、学生から「先生、建築家になるために何を読めば良いでしょうか?」と訊ねられ、「そうねえ、聖書もいいけどコーランは面白いよ」と答えたと言う。こういう教授がいたら、楽しい学生生活が送れるだろう。遅ればせながら井筒俊彦の著作を読んだりしつつコーランのことをかじり始めると吉坂が言う通り実に面白い。
面白さはここで書ききれないが備忘のため少しだけ。
10世紀以前に記されたコーランは、確かにアラビア語で書かれているのだが、現代のものと表記の仕方が大きく違い、普通に読もうとしても読めないそうだ。使用している子音や母音の数を極端に限定していて、読んで意味内容を理解するような書き方ではないらしい。ところがこれで十分だったという。コーランは暗唱が基本なのだ。だから朗唱中手元にこれを置けば、発声している音が正しいかどうかのガイドになる、ということ。実に面白い。
イスラームは、先立つユダヤ/キリスト教にもまして形ある偶像を徹底的に排除してきた。その原理に従えば、文字や書物すら偶像として遠ざけるのが真っ当だということになる。文字も信頼しないし、本と言う体裁を取ることも意味は無い。クルアーンの啓示は読むものではなく、発声されるべきものなのである。しかもムハンマドの発したアラビア語の音でなければならない。信者は発声された音の波動に参加する。波動に身を委ね、信仰が身体化する。
2014年4月22日火曜日