軸線の旅

 


今日は故宮を南側から南北に向かって縦断。その勢いで故宮の北側にある人工の築山「景山」にも登ろうという算段。


天安門前に着いたのが11時頃。初めて来た時には故宮を北側から縦断した。今日は天安門を潜り南から北へ抜けよう。


外朝と呼ばれる故宮南側のオフィシャルな部分は、軸線上に大建築を載せる極めて明快な配置計画で道に迷う訳も無いが、北側の内廷と呼ばれる皇帝一家の居住エリアは、高い壁に囲まれた路地が縦横に張り巡らされている。おまけに影壁と呼ばれる目隠し壁のようなものがそこかしこに設置されていて見通しがきかない。故宮内の全ての建物に扁額が掲げられ固有の名前が付けられていて、我々観光客にも役立つことは確かだが、ここを栖としていた宮廷の人たちも、迷路のようなこの城内で自分の位置を正しく確認するため必要なアイテムだったに違いない。


今日の目標のひとつは、前回の短時間突撃縦走では近づくことすらできなかった「養心殿」、清代雍正帝以降8人の皇帝が暮らした住居である。故宮全体からすれば芥子粒以下、ちょうど4畳半サイズの「三希堂」の窓際で、歴代皇帝に代々引継がれてきた至宝中の至宝、さらに自らが作らせた驚異的な工芸品の数々に囲まれていた乾隆帝のことを思う。日本でも中国でも台湾でも、中国文明に関するあらゆる展覧会は、この乾隆帝のコレクションのほんの一部を公開しているに過ぎない。清の黄金期に君臨した皇帝は、小さい部屋の窓際で、掌上の極小工芸品をどんな笑顔で愛でたのだろう。


不勉強で良く知らなかった内東路「延禧宮」の「水殿」(1909・写真)と呼ばれる故宮初の鉄筋コンクリート造には驚いた。鉄筋コンクリートとはいえ低層部に限ったことで、それが問題なのではない。驚かされたのは上部に聳える鉄骨構造。建設年代は「ブレードランナー」のブラッドベリ・ビルの少し後、装飾的に鋳鉄を使う時代の共通感覚が見て取れる。マッドサイエンティストの居城のような、なにか只ならぬ霊的な儀式を行っていたのではないかと思わせる気配。故宮全体の中でその異質性は際立っていた。大きな猿山の中に一人だけ人間がいる感じか。


魚を泳がせそれを愛でる一種の水族館を作ろうとしていたらしいが清朝の滅亡とともに未完成のまま打ち捨てられ、荒れ放題になっていたようだ。修復するつもりなのだろうか、粗末な仮囲いが邪魔だ。

 

2013年6月5日水曜日

 
 

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