前門大街

 


出かけると、昨日の京劇と同じ声を出すオジサンがいる。自転車を曵きながら営業中の研屋。外で発声しても、強い声はストレートに胸に食い込んで来る。


昨日あきらめた毛主席紀念堂に再び挑戦することにした。お墓や埋葬について見聞を広めるという意味で。昼過ぎに行ってみると開館時間は午前中のみ、しかも明日から周りの歩道工事のため入館出来なくなるとのこと。工事は単なる言い訳で、6月4日の天安門事件24年を前にしての警戒だろう。


諦めて南北軸線上を南方向に辿ることにする。


天安門広場の南端にある「正陽門」へ。「前門」と呼ばれることが多いようだ。明の永楽帝18年(1420年)に造られたものがそのまま残っている。紫禁城を囲む城壁には9つの門が造られたがこれはその一つで、城の中心軸上に乗り、皇帝が入城する際の専用御門だった。「城楼」「瓮城」「箭楼」の3つの部分からなる。「城楼」「箭楼」は門型の建築型でその間を「瓮城」という城壁が繋いで中庭のようなものを形成していたが、1922年、路面電車の線路を敷設するにあたって「瓮城」は壊され、2つの門が残った。


2つの門のうち北側の「城楼」は入場料20元を払うと登ることが出来る。まず石積みの基壇上部まで階段で登る。高さが中途半端で、南を見ると「箭楼」北には毛主席紀念堂が聳えていて、南北の軸線を感じる景色がさっぱり見えない。木造部分の急な階段もよじ登ってみるが、物悲しくなるような場末感たっぷりの薄汚い展示がのさばっていて、窓は閉じられたまま外部は何も見えない。ボクは何事もあまり後悔しない質だが今回は激しく後悔した。


気を取り直して少し南に行くと「箭楼」。北京城の防御門としての機能を持っていて、射撃用の「箭窓」が特異な意匠の決め手になっている。要塞と呼ぶに相応しい堂々とした佇まいである。ここを潜ると南側一帯は明代から続く昔ながらの商店街エリアである。


オリンピック直前に再開発し、清代末期から民国時代の街並を再現した歩行者専用街区となって、故宮を南北に貫く中心軸とぴったり重なる「前門大街」。ここにはこの直線区間のみを往復運転する路面電車も再現されている。一種のテーマパークとも言えようか。▶レンガや石などの質量の大きい自然素材の統一的使用。▶道に面して各店舗の間口が狭い。などが即座に理解される。


人波を見ると「前門大街」の800mに及ぶ一直線の商店街はさすがに長すぎるのだろう、「正陽門」から遠ざかるにつれて人影も疎らになり、南端まで来ると閑古鳥が鳴いている。みんなの大好きなあのハンバーガー屋Mですらガラガラである。対照的にメインストリートから東西に枝分かれする小径に観光客は吸い込まれ、細い道々には人が溢れている。路面電車を無料にした上、途中何カ所かで乗降できるようにしない限りこの傾向は続くだろう。無料にすると人が殺到して電車を動かせなくなる気もするが。

 

2013年6月3日月曜日

 
 

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