舞踏とひとがたの日
舞踏とひとがたの日
土曜。昨年完結した井桁裕子の「天空揺籃3部作」を同時に展示し、しかもその同じ場所で作品のモデルになった舞踏家3人が踊るという、1日だけの贅沢な特別企画に幸運にも潜入できた。会場は青山「ときの忘れもの」
床に座って眼前で蠢く白塗りの人体を見上げると、前日見たエル・グレコの「無原罪の御宿り」そのものではないか。常軌を逸脱して鍛え上げられた肉体は、マニエリスティックでフリーキーな様相を呈する。狭いギャラリーの中で20人程の観客が片寄せ合い、固唾をのんで1時間以上、時間も空間も只ならぬ事態に歪み軋んで音を立てた。
「素敵な事って、一瞬で過ぎて行ってしまうのです。あのショスタコーヴィチのワルツNo.2を聴くと、どんな豪奢な喜びもはかなく想い出になっていくような切なさを感じます。永遠に大切な時を留めておこうとしたヒトガタと、うつろいゆく本物の肉体が交錯した瞬間。夢のようなひとときでした。」(井桁裕子)
現代芸術と称するものに、人はある日突然出くわし、それまでの価値観、人生観を大きく揺さぶられる。出会いのタイミングは人によって異なるだろう。我々の世代では「大人」になって初めて意識的に現代芸術との遭遇を経験するのが一般的だったろうか。90年代のアメリカで、小学生が授業の一貫として現代美術館に大挙して押し寄せ「難解な」作品を前に解説付きでメモをとる姿を目にした時の違和感は、現代美術を思う時いつもまとわりついてくる。この日、会場で、硬直しながら泣きもせず白塗りを目撃してしまった幼児の将来が気になった。大きなお世話ですが。
2013年1月28日月曜日