映像記録

 


日曜夜、311の記録動画をまとめた番組を見た。じっと凝視しているうちに、船酔いのような気分になってくる。映像のプロでない一般の人が、手持ちのデジカメや携帯の動画機能を使って慌てて録画したものがほとんどなので、画面が揺れて安定していない所為もあろうが、それよりも画面に映し出される現実離れした自然の暴威に身体がついていけなかったのだろう。ホントに具合が悪くなって、番組終了と同時にすぐに寝る。


赤い靴を買う夢を見た。直前に見た何かに影響されているのかな。


映像として記録に残されているものは、長い歴史の中でも、リュミエール兄弟以降、ここ100年ほどのものしか無い。それ以前の出来事について、われわれは何も知らないか、知っていても信じていないか、信じていたけど忘れてしまったか。ただでさえ忘れっぽい我々が、映像の残されていない過去の出来事を貧困な想像力で再現し伝え(ていく/られる)のは難しい。


ロトの妻のことを思い出しなさい。(ルカ17:32)


これまで人類は、無数の大きな災害を経験してきた筈なのだが、すぐに忘れてきた。忘れることによって精神の均衡をなんとか保ってこられたのだろう。寺田寅彦が昭和9年に言っていた通り、「(関東大震災時の火災の原因について)ああゆう地震が可能であるという事実を日本人の大部分がきれいに忘れてしまっていたということに帰すべきであろう。むしろ、人間というものが、そういうふうに驚くべく忘れっぽい健忘性な存在として創造されたという、悲しいがいかんともすることのできない自然科学的事実に基づくものであろう。」


映像記録は、先天性健忘症の我々および我々子孫の記憶を少しでも長持ちさせるよすがとなるか。ヴァーチャルが大手を振って表通りを歩いている。事実として記録映像を見られなくなる時代がもう来ていることを思うと、深刻である。

 

2012年3月6日火曜日

 
 

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