水戸芸術館
水戸芸術館
石山修武のブログ「世田谷村日記」を覗いたら、面白きことあり、以下転載。
一月三十一日
8時離床メモを記す。馬場住職は大丈夫かなと気になる。世田谷村のつらら滝は消えていた。袋田の氷瀑は北向きだから凍てついているのだろう。いかにも日本的な滝であった。しかし袋田の滝が凍ったのも良かったけれど大洗の漁師・小泉勝男さんは更に良かった。どうも、わたくしはモノよりも人間の方に興味を持ち過ぎる傾向があるようだ。
それで芸術家にはなれないのであろう。
昨日、水戸芸術館で見た大きな石がテンションワイヤーで宙空に浮いていたのは悲惨だった。恐らくはDNAモデルが空へよじれ昇るのを磯崎から聞いて芸術家が重力に逆らう如きの発想をしたモノなのだろうが、誰だか知らぬがこの芸術家は計算間違いを犯した。ルネ・マグリット風の巨大な石を人造で作って中庭に転がしていたらDNAの塔と対峙できたろうし、少なくとも低層の建築部は喰えたのに。あんな石を吊ったって、人々は大張力橋をもう見慣れているから何の感動も無いだろう。
石山先輩、恐れ入ります。石吊りのカスケードは磯崎さん自身のデザインで、しかも結構本人も気に入っていることを当然知っていて書いているのですね。「石山修武被害者の会」会員だけど見直しました。HPに連載されている、決死の「磯崎新論」今後も期待致します。
「人間は本性において模倣的であり学習的である(ヴィトルヴィウス)」。CHILLIDAをパクって引用して、つい「あんな石を吊って」しまったことをヴィトルヴィウスははるか過去から予見していた。建築家が芸術家の作品をパクる引用する時には、それと分からないようにひっそりとやるかオリジナルを超えるものを提案しなければ、やらない方がマシである。
石山さんが言う通り、建築家は「芸術家にはなれないのであろう」。
2012年2月2日木曜日