人体図
人体図
「ダ・ヴィンチのあの絵」は「建築書」の第3書、第1章2~3節の記述をもとに描かれている。以下転載部分ゴシック。
2節:実に、自然は人間の身体を次のように構成した 頭部顔面は顎から額の上毛髪の生え際まで1/10、同じく掌も手首から中指の先端まで同量。頭は顎からいちばん上の頂まで1/8、首の付け根を含む胸のいちばん上から頭髪の生え際まで1/6、胸の中央からいちばん上の頭頂まで1/4。顔そのものの高さの1/3が顎の下から鼻孔の下までとなり、鼻も鼻孔の下から両眉の中央の限界線まで同量。この限界線から頭髪の生え際まで額も同じく1/3。足は、実に、背丈の1/6、腕は1/4、胸も同じく1/4。その他の肢体もまた自分の計測比をもち、昔の有名な画家や彫刻家たちはそれを用いて大きな限りない称賛を博したのである。
3節:これと同様に、神殿の肢体は個々の部分を総計した全体の大きさに最も工合よく計測的に照応しなければならぬ。人体の中心は自然に臍である。なぜなら、もし人が手と足を広げて仰向けにねかされ、コンパスの先端がその臍に置かれるならば、円周線を描くことによって両方の手と足の指がその線に接するから。さらに、人体に円の図形がつくられるのと同様に、四角い図形もそれに見いだされるであろう。すなわち、もし足の底から頭の頂まで測り、その計測が広げた両手に移されたならば、定規をあてて正方形になっている平面と同様に、同じ幅と高さがそこに見いだされるであろう。
さらに
7節:その上かれらは、人間の足は背丈の1/6であるから、従ってまた背丈の上から下までは足(ペース)数で6となるから、それを完全数と定めた。また、かれらは1腕(クビトゥム)は6掌(パルムス)あるいは24指(ディギトゥス)よりなることに気付いていた。このことから、ギリシャの諸都市は、腕が掌の6倍であるのに倣って、かれらが貨幣の単位として用いている1ドラクマの中に(ローマの)アース貨のような均等な6つのオボロスと呼ぶ青銅貨をつくり、オロボスの1/4をディギトゥスに見立てて、それが24で1ドラクマに定められたと考えられる。この1/4オボロス貨をある人はディカルカといい、ある人はトリカルカという。
ヴィトルヴィウスは人体各部寸法の比例関係を整理し、それを応用展開して建築の設計理論に紡ぎ上げる。興味深いのは長さに関わることだと思っていた比例関係をギリシャでは「腕が掌の6倍であるのに倣って」貨幣単位にも使っていると記していることだ。そしてこのあと第5書では、音についての比例関係にも触れる。
いずれにしても、この場合手指1本の幅(ディギトゥス)を最小単位とするモジュールを組んでいて、2節に書かれていることをディギトゥスに書き直すと、身長96、足16、顎~頭頂部12などとなる。最小単位の倍数で体の各部分の寸法を理想化し「イデア的身体」を記述出来る。もちろん個人的レベルでは「頭髪の生え際まで」なんてところはイデアとほど遠いこともあろうが。
この本を参考にして描かれた人体図はダ・ヴィンチのものだけではない。ルネサンス期にはギリシャ・ローマの古典が再評価され、建築家自身がこの本を教本として求めることになり、数種の版本がヨーロッパ各国で出版された。ブームだったのだろう。その本を読んでいろんなヴィトルヴィウス的人体図が登場した。「ビンゲンのヒルデガルト」のものや、映画メトロポリスのロボットみたいなものなども面白い。彼らはこの比例関係が人体のみに有効だとはとらえず、自然と芸術、森羅万象全てに潜む摂理として受入れようとしていた。
つづく
2012年2月1日水曜日