円明園にて
円明園にて
破壊され大理石の瓦礫と化した円明園に立つと、これを計画施工した清王朝の力、破壊した英仏の力、廃墟を放置し負の遺産として残そうとする、あるいは失われた財宝を奪還しようとする力。ひとつの場所を舞台として、財力、軍事力、政治力、、国家に関わる全ての力がいまだ同時に踊っている実感が迫ってくる。
ジョン・ソーンがガンディに描かせた「イングランド銀行鳥瞰図」(1830)、磯崎新が描いた「廃墟になったつくばセンタービル」(1985)を思い起こす。円明園の施主は清王朝、イングランド銀行は中央銀行、つくばの場合は住宅都市整備公団、いずれも国家そのものである。建てても壊れても、国家の建築が担わされたベクトルの方向は変わらない。
廃墟になり遺跡になっても、モノとして力を持つのは、石とレンガだろう。木は建築として外形をとどめていない限り腐り/燃え、鉄筋コンクリートは産業廃棄物になる。金属は腐食し、石油由来の新建材はすぐにゴミだ。磯崎は、つくばが美しい廃墟として残ることはなく、いずれ解体され産廃の山となることを見越し、その上で冷たい憧憬を込めて「廃墟になったつくばセンタービル」を描いた。
建築家はあらゆることに引き裂かれながら、それでも建築家であり続けようとする。
2012年11月11日日曜日