ハインリヒ・シュッツ

 


日曜は「夏の祈り」と銘打ったコンサート。


調べてみたらSDGに参加させてもらって以来、バッハとのおつきあいは5年にもなる。かつて音楽室の額縁の中でしかめっ面をしていたバッハが、最近は時々笑顔も見せてくれる瞬間がある。


親しくなりつつあるバッハと対照的に、H.シュッツはなかなか手強い。我々器楽奏者は「シンフォニエ・サクレ地獄」と呼び恐れている。譜面は簡単な筈なのに、身体がうまく音楽に馴染まないでぎくしゃくしてしまうのだ。


終演後合唱の方々にそのことを話したら、合唱ではシュッツは大変歌い易いとのこと。シュッツは言葉と音が一体化していて、言葉をしゃべるようにすれば自然に歌える、とも。


そうか、歌うつもりで歌詞を覚えればいいのだ。言葉と身体がバラバラという自己同一性の病いが弾きにくい原因だったのだ。あぁだがしかし、シュッツの歌詞はもちろん全てドイツ語なのである。


「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」(ヨハネ1:14)


日本語による建築設計について考える。以前、磯崎さんたちが漢字文化圏の建築言語について考えていたことと重ねてみよう。


月曜はTさんの事務所で、種々デザインの方向決め。マンション最上階の空の広いテラスではゴーヤがりっぱな実を付けていた。うらやましい。夏も終わろうとしているのに、うちのゴーヤの実はまだ小指の先程しかない。

 

2011年8月23日火曜日

 
 

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