ロースとシェーンベルク
ロースとシェーンベルク
北京在住の友人が久し振りに日本に来た。HISARでトルコ料理を食べながら互いに近況報告。話題の中心は震災後の日本について。
海外から日本の様子を見ていると、理解出来ないことばかりのようだ。日本に住んでいても訳の分からないことだらけなのだから当然だろう。問題は、状況を詳細に観察し「正しく」理解したとしても、その状況を脱し好転させる術を持っている人が、この国の指導者の中には誰もいないことだ。我々が選挙で選んだ人たちである。
脱出、じゃなくて、出張準備。装飾=様式的意匠を好む人に対して、どうプロポーザルするかが課題になるのだろうな。アドルフ・ロースの気分になって考えてみる。
思えば、大学の卒論で「ロースとシェーンベルク」を書いたのだった。論文執筆当時それほど実感は無かったが、四半世紀経ち仕事も少しは経験した身になると、ロースやシェーンベルクが同時代に対して抱いていた敵意や怒気はさぞや大きかったのだろうと思えるようになった。
彼らが「騒がしいどら、やかましいシンバル」で終わらず、建築/音楽の可能性を大きく広げた理由を、再度じっくり考える機会だ。
ロースもシェーンベルクもウィーンに墓がある。ロースの墓は生前自分でデザインしたもの。シェーンベルクの墓は彫刻家 Fritz Wotruba がデザインしている。どちらも単純な直方体であるが、ロースは建築家らしくウィーンの大地にどっかと根を下ろし、シェーンベルクは直方体が音楽に舞っているように見える。あるいはナチスのベルリン/ウィーンを脱出しアメリカにひらりと飛んで帰化したことが、墓石の形体に影響しているのか。
卒論当時、この二人をセットで考えたことは間違いでなかった。
2011年6月24日金曜日