村上春樹/高木仁三郎

 


核への根強い拒否反応を持ち続けているヒロシマ出身我が一族のはしくれとしては、「三度(みたび)許すまじ原爆を」の誓いを裏切ることになってしまった自分自身に対する悔恨が重くのしかかっている。


村上春樹のカタルーニャ国際賞受賞記念スピーチ全文をじっくり読んだ。


彼の熱心な読者ではないが、このスピーチには揺さぶられる。「建築」はこれまで、巨大権力や大企業と添い寝してきた一面を持つ。今後新しい物語を芽生えさせ構築することができるのか。「集合的責任の取り方」にどう関わっていくべきなのか。



大事故が起きるはるか前から、警鐘は鳴らされていた。もはや鈍感ではいられない。


「残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な結局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。」(髙木仁三郎 1938-2000 )

 

2011年6月16日木曜日

 
 

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