メタボリズム

 


「メタボリズムの未来都市展」@森美術館


▷他のイデオロギッシュな運動と同様、個々の建築家により着地点は大きく異なる。その証人が全員いなくなる前に運動の多面的な歴史を纏めようとする試み。


▷既に建築史の教科書にも組み込まれているメタボリズムを俯瞰する時、311以降の我々はどこに立つのだろう。メタボリズムの時代は圧倒的な戦災の記憶を生々しく持ってはいるものの、大地震や大津波の記憶は薄らいでいたのかもしれない。石油危機にはまだ少し時間がある。そんな一時の瞬間的平穏な時代がこの運動の背景にあったのか。大地震/大津波の記憶が鮮明な時に、都心/東京湾上のメガロマニアックな都市計画が受け入れられるとは思えない。


▷オリンピックや万博を控え、未来はユートピアだった。主催者がこの展覧会の準備を始めたのは明らかに311の遥か以前である。この展覧会は、何を提示しようとしているのか。停滞する経済の中で「夢よもう一度」的な楽観が皆無だと言い切れるか。準備期間中に311を経て、軌道修正があったのか。


▷生物学の用語を国家、都市、建築の計画概念に用いているものの、そのスケールの現実は計画を超え、制御不能な状態になることを我々は知っている。家具や住戸ユニット等、比較的小さなものが実作の形で一定の完成度を見せているのと対照的である。それは単に大きさの問題だけなのか。


▷それにしても「私はメタボリズムと明瞭に逢遇している。けれど接触だけで旋回してしまった」という師匠・磯崎新の仕事が実に多く展示されていた。ある程度予想はしていたが、ボク自身が制作に関わった20年前の模型が5点も展示されていたのを見て、懐かしくもあった。

 

2011年10月18日火曜日

 
 

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