帝産・大仁金山
帝産・大仁金山
最近、ふるさと方面からの強い引力を受けている。昨日は伊豆長岡方面。
子供の頃、沼津からちょうどいい日帰りサイクリングコースだった狩野川沿いの懐かしい景色は、ほとんどそのまま変わっていない。だが、名前は「伊豆の国市」になっている。いつのまにか、伊豆長岡町・大仁町・韮山町の3町が合併していた。
この辺りのことで、最も鋭く脳裏に焼き付いているのは、「帝産・大仁金山」の廃墟だ。1973年に廃鉱になった後も、周辺の関連施設は一部残っていたらしいが、ボクの記憶は、「完成された廃墟」の姿のみ。今思えば、相当危険だったのだろうが、少年は崩壊寸前の廃鉱跡に忍び込んで、指定されない「近代化遺産」の中で遊んでいた。世紀が変わる頃に木造の本体は解体され、今はコンクリートの基礎だけが残されているようだ。これは未見。
「廃墟萌え」の先達、ピラネージやガンディだったら、どう記録しただろうか?また、軍艦島が注目を集める現在まで、ここが残っていたらどうなっただろう?廃墟が持つ膨大な記憶が、解体とともに一瞬にして失われ、土地の名前も行政のくだらない都合で次々と変わって行く。なんとも物悲しい。
2009年7月9日木曜日