韮山
韮山
大仁のついでに、韮山についての覚書。
ここも大仁同様、チャリンコ日帰りコースに組み込まれていた。建築を学び始めた後に、あれもこれも史的に重要な建造物であることにようやく気づかされる。
反射炉と江川邸。
反射炉は黒船来航に慌てた幕府が、海防の責任者、代官・江川英龍に建造を要請。彼は蘭学の本だけを頼りに設計を開始し、息子の代になってようやく完成させる。現在の港区お台場に備える大砲を作るための溶鉱炉だ。だけど大砲は一度も発砲されなかった。ペリーを嫌っていたお台場には今、「ニセ自由の女神」が鎮座ましましている。
韮山代官が代々住んでいたのが江川邸。1600年頃に建てられたという。この江川邸がにわかに注目されたのは、建築家・白井晟一が「縄文的なるもの」という一文を「新建築」誌上に発表し(1956)、いわゆる「伝統論争」に揺さぶりをかけた事による。
2009年7月10日金曜日