演歌
演歌
珍しく演歌関係の方々とお知り合いになった。作曲家とその内弟子の女性歌手。
あらゆる表現芸術のジャンルで、ヒトは技術と表現を二元論的に天秤にかけ評価しようとする。演歌の場合も同様。「うまい」歌が必ずしも「良い」歌だとは限らないという。ボクですら知ってるような有名な演歌歌手の名前を挙げて、「あの人はうまいけどちっとも良くない」「この人はヘタだけどいい歌を歌う」彼らはズバズバ切って行く。表現がまさっている場合が「いい歌」ってことになるようだ。
クラシックの世界では、コンクールで超絶技巧を炸裂させてメダルに輝いた人たちがまずデビューすることが多いが、歳を経るにつれ若い頃にできたウルトラ技術はだんだんできなくなっても、表現力が厚みを増してくる人が生き残って行く。歳をとって消えてしまった演奏家たちは、演奏技術以外には聴き手が共感する何ものをも持たなかったのかもしれない。
コブシをきかせ深いビブラートをかける歌唱技術が無ければそもそも演歌歌手として出発もできないのだろうが、同時に、伝えたいものが無ければ歌も虚しい。厳しい内弟子生活を続けている彼女は、技術を身につけ、人間を磨き、二元論を止揚して、評価を突き抜けた高みに昇れるだろうか。想像を絶する困難な道だろう。外野は祈るしか無い。
パンソリを主題にした韓国映画、「風の丘を越えて/西便制(ソピョンジェ)」を思い出した。
2009年7月24日金曜日