武久源造のスクエアピアノ
武久源造のスクエアピアノ
今回の演奏に使われるスクエアピアノがつくられた1830年代のヨーロッパはどういう時代だったのか。
この時代はいわゆる「ウィーン体制」つまり貴族階級の保守反動的な復古体制がヨーロッパを覆っていた。どこへ復古するのか?もちろん18世紀末から暴れ回っていたナポレオン以前の時代への復古である。素人が大雑把にいうと、ナポレオンが暴れ回ったけれど一旦それ以前の静かだった時代に戻ろうじゃないか、というのがウィーン体制。
ナポレオンは相当大暴れしていたようで、ヨーロッパだけではおさまらず、1798年には兵4万人を引き連れてエジプトに攻め入る。アレキサンドリア辺りの海岸から上陸してカイロに進む。だが、しばらく経つと情勢が悪化して、翌年部下を残したまま自分だけフランスに逃げ帰る。彼はこのいくさに160人だか170人だかの大編成の学術調査隊を連れて行って、ナポレオンは彼らも置き去りにしてしまうのだが、その学者たちは命懸けで、ロゼッタストーンを発見したり、建築、動植物、習俗・生活にいたるまでエジプト全土を詳細に調査して、未知の国エジプトの学術報告書を1809年から刊行し始める。これが有名な『エジプト誌』。20年程に渡って23冊の刊行が続く。それが完了したのはちょうどシューベルトが31歳で亡くなった頃。シューマンはちょうど20歳ぐらい、梅毒に感染した頃だ。この本やロゼッタストーンの発見、そしてヒエログリフの研究の影響もあって、19世紀前半にはヨーロッパでもエジプトやオリエントへのあこがれが沸き起こってきた、という見方もある。
1830年代、このピアノが生まれた時代は、オリエンタリズム、つまりエジプトに代表される未知の外国への好奇心と、古き良き時代のヨーロッパを懐かしむ反動的・復古的な気分が共存している、そんな時代だったのではないか。エジプトに無理矢理からめてみた。
2018年9月5日水曜日