左右/上下
左右/上下
設計作業中の平面図を左右反転すると、見慣れない景色が目の前に現れ、体のネジを各所で調整しなければいけなくなる。同業者なら皆経験していることだろう。書いている図面を水平軸に対して上下反転する場合もある。今日、図面をいじっていて、上下反転の劇的な変化に一瞬自分の居場所が分からなくなる程戸惑った。個人的には左右反転よりも上下反転の方が明らかに衝撃が大きいと思える。鏡に映っているのが左右反転されている自分の顔だと認識する感覚は誰もが持ち合わせているが、逆さになった自分の顔をそれと認識することが出来るかどうか。図面の場合もそれと同じことか?これはボクだけのことなのだろうか?
大型のカメラを使う写真家は、倒立した画像を見ながら撮影する。三脚に固定された箱のようなカメラの背面にあるガラスを覗くのに獅子舞よろしく暗幕を被り、ガラスに専用のルーペを当て、厳しいアングル検討をしていた石元泰博さんに倒立画像を見ることの不自由さについて訊ねてみたら「慣れだね」と仰っていたのを思い出す。
方向音痴方向感覚の不自由な方々が道順の説明をする時には、大概進行方向のことには触れずに、前・後・左・右、つまり自分を世界の中心に置いた天動説的座標軸に基づいた説明になる。カーナビでは主にこの天動説的座標軸を用いた音声案内が使われているが、それは今まさに運転している切羽詰まった人にとって、進行方向に対してハンドルを右に回すか左に切るかの指示が最も単純だからだろう。「その角を北北西に」とか言われても考えているうちに事故るだけだ。運転には即時の判断が要求されるので天動説的ガイドが適している。これは二次元座標の領域。
外務省の海外渡航情報も更新が追いつかない程、地球上では急速に危険地域がひろがっているようだ。世界は未だ「自分」を座標軸の中心に置く天動説の時代にどっぷり浸かっている。そこを脱するには多様な座標が存在することを認め合うことから始めるしかない。多様な座標が存在することを認める視野の広さを持っているのは、超越の絶対座標を持つ一神教の信者である筈なのだがどうか。
左右/上下反転してもすぐさま身体化できる柔軟な空間感覚。人の運転をはるか上空から俯瞰する方向感覚。そして想定外の座標軸に対する寛容。
2015年1月23日金曜日