年始の記録1
年始の記録1
1日 今年の元旦は日曜日である。耶蘇の我々にとって新年礼拝は初詣のようなものか。すると聖餐の葡萄酒はお屠蘇?ある文化が未知のものを受容する時、既知のものとの比較で位置づけを考えるのは人の常、日本も例外でない。意味内容の違うものが外見の類似性のみで合体混交化学反応する。日本建築の領域においても、和様化独自の展開の鍵はそんなところにあるのかもしれない。
2日 新年会 お年玉をあげる側になって、いったい何年経ったのだろう。
3日 今日から箱根に母と2泊。今朝まで駅伝の選手たちが走っていたその道、車で走っても急な坂である。かつてこの道を父の運転でよく走っていた。父は運転しながら、機嫌が良ければ歌うのだった。箱根を走る時にはいつも「箱根八里」。かなり後になって作曲は滝廉太郎だと知る。
はこねのやまはー てんかのけーん
かんこくかんもー もーのならずー
ばんじょーのやまっ せんじーんのたにっ
まーえにそびえー しーりえにさそぅ
くもはやまをめーぐり きりはたにをとーざす
ひーるなおくらきー すうぎーのなみきー
よーちょーのしょーけーはー こーけーなーめらか
いっぷかんにあーたるや ばぁーんぷもひらくなし
てんかにたびする ごうきのもののふ
だいとうこしに あーしだがーけ
はちりのいわね ふーみならーす
かーくこそありしか おーじのもーののふぅー
箱根の山は、天下の嶮
函谷關も ものならず
萬丈の山、千仞の谷
前に聳え、後方にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士
大刀腰に足駄がけ
八里の碞根踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
格調高すぎて文字にしても難解な名文である。当時少年のボクに意味は判ろうはずもなかった。未だひらがな丸暗記状態でございます。それにしても「函谷關も ものならず」とはちょっと言い過ぎじゃなかろうか。箱根はヒューマンスケールのかわいい自然だ。
温泉の脱衣場には貴重品用鍵付きロッカーがあり、中では誰かの悲しき携帯受信音延々リピート鳴り止まず。電話が心配だったら、湯船に持って入れ!こういうくだらない生活のディテールが疲労の原因になる。
(つづく)
2012年1月10日火曜日