わたしが子どもだったころ

 


わたしが子どもだったころ、遊具の無い茫漠としたハラッパが至る所にあり、ひたすらそこを駆け回っていた。季節を問わず夕暮れが早かった黄金の日々。


昭和の日、恒例の日曜学校ピクニック。羽根木公園に「自己責任」で遊ぶプレイパークがあることを初めて知った。


廃材や道具が用意されていて、それを自由に組み合わせながら自分で秘密基地やツリーハウスをつくる。泥団子を投げ合って戦闘ごっこに興じる。時々怪我もする。みんな泥だらけだ。そこかしこで廃材利用のたき火で料理をしている。懐かしい煙の香りが漂う。ベトナムでの米軍キャンプはこんな感じだったろうか。


NPO法人が運営しているらしい。そういえば眼光鋭いリーダー的風体の大人が数人、遊びの中心にいた。かつてボクらが勝手にやっていた遊びが、絶滅寸前の際どいところでNPOに救われ、都心の片隅で保存されているのだ。田舎ではとうに滅びているだろう。都心だからこそ小規模とは言え残せたのかもしれない。


慣れない子供は最初のうち遠巻きにそれを見て尻込みしているのだけれど、滑り台や秘密基地で遊ぶうちにベトコンの一人と化していく。今は都心のどの公園も厳重に管理され、管理者側は誰も怪我しないように、利用者も施設のものを壊さないように、びくびくしながら公園と接触している。このプレイパークを知るといいのは、子供たちだけでなく、子供の親世代=ボクら、だろう。


明後日ぐらいから、原因が思い出せない筋肉痛が起るかもしれない。当然自己責任だ。


http://www.playpark.jp/toppage.html

 

2011年4月30日土曜日

 
 

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