クセナキス

 


TVでは坂本教授がバッハの音楽についてしゃべっている。「バッハの音楽はレンガを一つ一つ積むような建築・・・」てなことを言ってたような気がする。


坂本教授に限らず、音楽、特にバッハの音楽を建築に喩えて語ることは一般的と言ってもいい。また、フェノロサのように(凍れる音楽)建築が音楽に喩えられて語られることも多い。


だからといってそれだけで建築と音楽が親和性を持っているとは言えない。建築は果てしなく視覚的であり、音楽は聴覚的というしか無い。


最近、クセナキスの場合が気になる。


反ナチスのレジスタンス運動中に銃弾を受け、片目片耳になったギリシャ系フランス人の作曲家/建築家が、音楽と建築の極めて高次の奇跡的な融合を実現したのは、半分失われた視覚聴覚を常に同時に意識しながら生きることを強いられていたためか。


以前読んで頭痛と眠気をもよおした「音楽と建築」(高橋悠治訳)がもう一度読んで欲しそうに背表紙をくねらせている。

 

2011年1月4日火曜日

 
 

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