GERATIN SILVER SESSION

 


SAVE THE FILM 展@AXIS


石元泰博、アンセル・アダムス、森山大道、杉本博司ら大御所揃い踏みの写真展。この展覧会が歌い上げるのは、フィルム写真への頌歌であり同時に、滅びゆくものへの挽歌である。


「0・1のような有限桁の数字列の電気信号に置き換えられたデジタル画像と、ハロゲン化銀に光を当て化学反応で浮かび上がる画像は別物で本来比較するべきものではありません」との内容がパンフレットにある。展覧会は「快感と恐怖(上田義彦)」の瞬間に、震える手でレリーズを押す写真家の鬼気がプリント表面から溢れ、会場に充満し、胸が締め付けられ息苦しいぐらいだ。


電卓を作っていたカシオがデジカメQV-10Aを発表した1995年、「別物」である筈のフィルムカメラとその姿が外見上何となく似ていたことが、今にして思えばフィルムカメラにとって致命傷だった。デジカメ側の意図的な作戦だったかもしれない。(それに先立つ1988年のソニー製マビカ(写真)はそれまでのカメラと「似ていなかった」から失敗したのだろう。)


カシオのQV-10Aがそれまでのフィルムカメラと「似ている」と思う我々にとって原理的相違点は関係なく、今まで通りの使い方で撮れる、さらにお手軽・便利なカメラが登場したと感じた。もし、デジカメがこれまでのフィルムカメラと全く似ても似つかぬ姿形をしていたら、フィルムカメラはこれほどまでに駆逐されず、状況は変わっていたかもしれない。ニコンやキャノンが慌ててフィルムカメラと同じ形のデジカメを発表した時点で、勝負あった。


「似ている」というのは違いが分からない場合に使う言葉だ。


手元にあるF3はフィルムが入っているものの、活躍の機会を与えてあげることが出来ないでいる。ひとたびお手軽なデジカメに流されてしまったら、なかなか元には戻れない。

 

2010年5月10日月曜日

 
 

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