乗松雅休
乗松雅休
ボクの生まれたちょうど100年前に、日本初のキリスト教海外伝道者、乗松雅休(のりまつまさやす1863〜1921)が生まれた。父方の祖母の叔父。この関係を示す単語の有無を知らないが、祖母たちは「朝鮮のおじさん」と呼んでいたらしい。
今でこそ韓国は人口に占めるキリスト教信者率がカトリック、プロテスタントを合わせると50%を超え、街のいたるところに大小問わず教会の林立する国になっているが、乗松が最初に半島に渡った時には、この地にキリスト教は無かった。
ある程度の言葉を学んでから渡鮮したことは間違い無いだろうが、仁川(インチョン)に上陸して、京城(キョンソン)に向かう馬上で唯一通じた「ハナニム(天国)」という言葉だけを幾度と無く馬子に囁きかけたのが、乗松の伝道の始まりだったという。後には「何処で日本語を習ったか?」と尋ねられるようになる。
水原(スウォン)に移り鮮人の間に溶け込んで極貧の中で福音を説き続けた。何度も栄養失調で倒れ、無理がたたって妻は若くして亡くなり、本人も遂に結核を病み小さい子供たちを連れての帰国を余儀なくされる。
一人の日本人が去れば、朝鮮の人々はやれやれと喜んだ時代に、感謝の涙で数百人の朝鮮群衆に送られた日本人はいない。水原には乗松の記念碑がある。独立後の韓国で破壊されずに残った唯一の日本人記念碑だ。
乗松が渡った地の女性とボクは結婚して家族となる。今回、家族の国で、教会設計に携わる機会が与えられることになった。
言葉も無い。
2010年3月23日火曜日