血汐したたる
血汐したたる
ボクは高校時代に「信仰告白」をした。(親の意志で生まれたばかりの子供に「洗礼」を授けた場合は、成人してから自分の意志で「信仰告白」をすることになる。)
その日の礼拝で歌った讃美歌は「血汐したたる」。バッハのマタイ受難曲の中で調を変えながら何度も登場する中心的コラールだ。何かのきっかけでしつこくマタイを聴いていたから、信仰の画期である日に、牧師である父親がこの曲を歌うことにしてくれたのだろうと思う。
そのマタイ受難曲に演奏者として向かい合うことになったが、実際に演奏するとなると、途方もない曲だった。曲と自分の関係を思い、演奏しながら泣いちゃうんじゃないかなどと余計な心配をしていたのだが、心配すべきことは他にいろいろあった。嗚呼いろんなところで何度も撃沈。
マタイに向かい合うためには、瞬間瞬間で自分を新しく切り替えなければならないことを思い知らされる。ドラマの進行が素早く、曲の構成が複雑に重層しているために、演奏者も聴衆もダイナミックな変化に振り回される。余裕無く現在進行形で十字架を追う音楽だ。
次はいつになるのだろう。マタイをやるには、常に準備してなきゃいけないということだけは分かった。
2010年3月21日日曜日