WTN


世田谷の住宅密集地。敷地11.8坪、建築面積7坪の小住宅。オーナーは夫婦+小学生を筆頭に子供3人=5人家族!である。床をできるだけ多く造ることが求められた。コンクリートで地下の箱を作り、その上にロフトを備えた木造2階建てを載せる。


快適に暮らすための空気循環システムは、物理学者であるご主人とともに練り上げられた。温・湿度の安定している地下から最上部のロフトまで、空気循環のための垂直ダクトを通す。夏には涼しく乾いた地下の空気を小さいファンでロフトまで持ち上げ、冬には暖まったロフトの空気をファンを逆回転させて地下に送り込む。階段部分に扉を設けず、地下からロフトまで4層はひとつの空間となっているために、いったんダクトから放出された涼しい(暖かい)空気は、そのまま全館を廻ることになる。予想以上に快適な環境が確保され、補助的につけたエアコンの稼動は最小限に抑えられている。


木造在来工法、内外壁とも本漆喰左官仕上げ、床は40mm厚の杉無垢板オイル拭取り、天井は直天井(床材露出)。地下のコンクリート部分には防水コンクリートを用いて、施工にスペースを要する防水工事を省き、狭小地を最大限に利用している。


2004-2005

住宅/東京都

テサロニキ・メガロン・コンサートホール


テサロニキは、ギリシャ北部・マケドニアの街。既存のオペラハウスのエクステンションを作るという計画。プロポーザルに依る設計者選定により選ばれた。

室内楽に最適な500人規模のコンサートホールを核として、コンベンション、楽器博物館、ライブラリー、レストラン等を設けた複合施設となる。


敷地はエーゲ海につながるテルマイコス湾に突き出した埠頭、湾越し西方にオリンポス山を望む地形である。既存のオペラハウスは、海側に舞台があり、ファサードを街に向けているが、この建物はホワイエ、エントランスを海側に向け、建物から見える景色を優先した。既存建物との間の広場は、イベント広場としての機能を果たす。コンサートなどがない日でも、博物館やレストランとともに「散歩コース」として常時市民に開放し、階段状の外観は、イベント広場を見下ろす桟敷席にもなるだろう。建物を昇ったり降りたりした後は、絶景のレストランでの食事を楽しむ。テサロニキでは夕涼みの散歩が一般的な習慣になっているのである。


建物は、ギリシャでは一般的な材料である大理石で覆われた2枚の大きな壁に挟まれたコンサートホールに、金属パネルで包まれたコンベンションのヴォリュームが載る構成である。内部はホールも含めほとんどをコンクリート化粧打放しとし、限りある予算、これまで現代建築に縁のなかったローカルの技術に対応している。


2004-2010

コンサートホール/テサロニキ・ギリシャ

磯崎新アトリエ+大野幸空間研究所

ATK

NSZ


Nさんは、 日本における良質な戸建て住宅のスタンダード「ベーシックハウス」を長年に亘って提案し続けている住宅プロデューサーである。Nさんの依頼により2件の戸建て住宅を、同時に計画することになった。


宝塚市の山中に開発された緑豊かな分譲住宅地。この宅地の開発にも関わったNさんが提案したのは、豊かな緑地帯、余裕のある地積、少ない建蔽率・容積率、すなわち与えられた自然に対する敬意・感謝・畏怖の念を持ったマスタープランであった。これまで、その趣旨に賛同した何人もの建築家が、この「ベーシックハウス」に参加している。


「ベーシックハウス」が提案しているのは、マスタープランの考えを単体の建築スケールの領域に落とし込んだもの、つまり、木造在来工法、経年で風格が出る材料の選択、無理のない必然的な平面・断面計画、リーゾナブルな価格、低いランニングコスト等、極めて「普通の」住宅である。


Nさんは自分でヨーロッパ各地を回り、「ベーシックハウス」に相応しい材料・家具等を選択し、低価格を実現するため商社を通さず自力で日本に輸入している。日本には住宅に使える「いいもの」に目を向ける習慣がないからである。(プラスチックや糊で大量生産品を練り固めたハウスメーカーの住宅を見よ。)また、商社を通すことにより、せっかく輸入した「いいもの」が、とてつもなく高価になって、入手困難になってしまっているからである。


ATK / NSZ を通し、「ベーシックハウス」に関わることになって、適正価格の「本物」を「普通に」使うことが、「住」の品質を向上させることを学んだ。これは、日本の大勢が向かう方向と、正反対を指し示す困難な運動ではあるが、「ベーシックハウス」に関わる我々は、「種まく人」たらんとしている。


Nさんによって選ばれ、直輸入しているものを下記に一部紹介する。


VARENNA (システムキッチン)

BERNINI (家具)

ESTEL (収納家具)

IMORA (タイル)



2004-2006

住宅/兵庫県

DISPROGRAMMING


建築家は、最終成果品を提出しなければならないのは当然だが、それに加えて戦略的方法も提出すべきものだ。1等のキムと大野は、プログラムと空間構成の結合に有益な方法を提案している。

・・・(中略)・・・

可能もしくは不可能な建築的構成に対置された複合プログラムは、さまざまな程度の有効性をテストするための可能性の、分析的で客観的な探求を可能にする。

(バーナード・チュミ 審査講評より)


1989

新建築住宅設計競技1等1席 Young L. Kim と協働

審査員  Bernard Tschumi

有時庵


オーナー   森稔

プロデュース 原俊夫

数寄屋    中村外二

建築デザイン 磯崎新


品川、御殿山ヒルズ内の庭園に建つ茶室。もともと、原美術館・原家の所有であった古い茶室は半壊状態のまま放置されていたが、それを新築する計画。現在では、庭・茶室とも、森ビルの御殿山ヒルズに組み込まれている。茶室は2畳台目の本席に立礼席、水屋を備え、延床面積にしても10坪ほどの建築である。本席部分は茶の作法に従った伝統的なものではあるが、使われた材料はチタン、鉛、ライムストーン等、今日的な素材を自由に取り合わせている。


この茶室は、磯崎新の展覧会 

"ARATA ISOZAKI  ARCHITECTURE 1960-1990" に際し、ロサンジェルス、伊香保を巡回した後、品川に着地することになる。組立・解体・輸送が容易に出来る数寄屋建築の利点が生かされた。


1990-1992

有時庵

茶室/東京都

磯崎新アトリエ

静岡県コンベンションアーツセンター

グランシップ


1993-1998

劇場・会議場・美術ギャラリー/静岡県

磯崎新アトリエ

NGT


築30年ほどのマンション最上階、ペントハウスにある一区分のリフォーム工事。オーナー夫妻は、普段都心に住み、毎週末をこのマンションで過ごす。


半階スキップの断面計画、湾に面した立地条件により、このマンションは東西両面からの眺望を手に入れている。視線を遠くまで飛ばすことのできる利点を最大限に生かすこと、使用する材料は極力天然のものにすること、都心の生活臭を持ち込まないことを、設計のルールにした。


いわゆる3LDKタイプの細かい間取りを全て撤去し、設備も含め「インフィル」部分を全て工事対象とする。間仕切りは可能な限り回避し、家具の配置計画によりゾーニングが成立する計画とした。3LDKからワンルームへのリフォームである。


床はウィスキーの樽に使われていたオーク材を再利用、壁・天井は全て珪藻土の左官仕上げである。団欒の中心となる丸テーブルは、床に寝転がったときに見上げた姿が美しく見えるようにデザインされた。


画家(であり写真家であり料理家でありオーナーと私の共通の友人)西川治氏の油絵を壁にかけることが当初からのオーナー夫妻の希望であった。深い蒼にうごめく深海魚であろうか。魚に飲み込まれたヨナの気分が想起され、切妻形状の屋根を生かした天井は大魚の内部よろしく緩い局面を描く事になった。


1999-2000

マンションリフォーム/神奈川県

家具デザイン

シェイク・サウド邸


中近東カタール国の王族、文化大臣を務めるシェイク・サウドからの依頼によって始まった個人邸計画。首都ドーハの郊外、約17haの敷地に、迎賓館、使用人住宅等の関連施設を含む、約2万㎡のヴィッラ。


著名なコレクターであるシェイク・サウドが個人的に収集した家具コレクション(1930年代にインドのマハラジャのためにデザインされたもの)を置くための部屋を計画する目的で、磯崎新との往来が始まったが、最終的にはヴィッラ全体を作り、一つの部屋にそのコレクションを収めることになる。


マハラジャは1930年代、世界屈指のデザイナーを何人も招き、特注の家具に埋め尽くされたパレスを作ったが、70年後の二千年紀においてその手法を再現するとどうなるか。磯崎新が全体の建築をまとめ、個々の部屋のインテリアはそれぞれ別のデザイナー/アーティストに発注した。また、広大な敷地は彫刻公園として計画され、いくつかの屋外彫刻が彫刻家に制作依頼されている。


(GA DOCUMENT 77 "ARATA ISOZAKI" より)


1999-

住宅/カタール国

磯崎新アトリエ

日本キリスト教団・南豆教会


二人または三人がわたしの名によって集まるところには、

わたしもその中にいるのである。

(マタイ18:20)


伊豆半島の南端、南伊豆町にある1879年創立のキリスト教の教会。過疎化の波に押され、信徒数は3人である。また、大正時代に建てられた礼拝堂は老朽化が激しく、使用に耐えない状態になっていた。教会そのものの存亡の危機である。


無謀とも思われる新会堂建築計画は、資を外部に頼ることなく、3人の信徒と、教会関係者、地域の方々の献金のみで、祈りに支えられつつ、竣工に辿り着いた。


木造2階建て。礼拝堂の床は杉無垢板貼、壁はラワンベニヤステイン拭取り、1階に集会室、2階に牧師住宅を併設する。遠望して「ここに教会がある」ということを主張するかのように、十字架を掲げた正面はホームベース型の単純な「家型」をしており、緑の木々を背景として映える、白い塗り壁の仕上になっている。



求めなさい。そうすれば、与えられる。

探しなさい。そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

(マタイ7:7)



2002-2003

教会/静岡県

KMST


出会いの奇跡が家族をつくる。個々の事例は、全て特殊解である。にもかかわらず、日本の住宅、とりわけ集合住宅では、家族の特殊事情に目をつぶりあらかじめ用意された一般解に従って平面計画を進め、当たり障りのないnLDKタイプが今だ横行しているのである。ご自分の体型に似合わないスーツやドレスを無理矢理着ていて、何の疑問も持たないのである。ご夫妻は、マンション購入を決める時点で、ご自分たちの生活にフィットしない3LDKの間取りを仕立て直すことを考えた。


私鉄沿線の閑静な住宅地。細かい間取りは部分的に利用出来るところは残したものの、料理とパーティーが好きなご夫妻は、台所と連続する食堂・居間空間を、大きく広げることにした。庭付きの1階部分である利点を生かし、全ての視線は手入れの行き届いた庭に流れることになる。内・外の緩やかな連続が、空間をより豊かにする。


ご夫妻の出した特殊解は、都市における暮らし方の普遍を、鋭く指し示している。


2004

マンションリフォーム/東京都

REINO


歪んだ鏡と向かい合うことによって、鏡像段階(ジャック・ラカン)からの離脱を加速させるための小部屋。あるいは、飲酒による自己同一性の破れを修正するための瞑想室。


歪んだ鏡は三保谷硝子渾身の作。


2005

店舗リフォーム/東京都

SKG


都心にある築30年程のマンション。浴室・手洗い部分の改修。ユニットバス+トイレ+洗面脱衣場が細かく区画された日本の典型的間取り。水廻りのスケルトン部分だけを残し、設備も含めたインフィル部分を新しく計画した。


壁を取り払い、大きな一室空間とし、浴槽も含めた全てをモザイクタイルで作る。ご主人様入浴中に、傍でのんびり待機できるようになった2匹のネコたちが、この改修を歓迎してくれた。ありがたいことである。


2007

マンションリフォーム/東京都

A-FLAT


都心から郊外に延びる私鉄沿線にある住宅密集地。6室の賃貸ワンルームマンション。壁・床どちらも20センチ厚の壁式鉄筋コンクリート造とし、部屋相互間そして近くに走る鉄道の音の問題を回避した。隣地との関係、採光・通風の条件にしたがって、全ての部屋に大きさ・位置の違う出窓を付け、小さい部屋の使い勝手を向上させると、それは同時に外観上のアクセントとなった。


ワンルームマンションに多く見られる窓のないユニットバスを採用せず、大きな浴槽を置き、自然光の入る在来工法の浴室がこのマンションの「ウリ」になっている。


2007-2008

集合住宅/東京都

YSD


都心の一等地に立つ、築30年のマンション1区分の全面リフォーム。


BERNINIは現代イタリア家具メーカーの最高峰です。デザイナー ジョー・コロンボが亡くなる直前の1971年にデザインしたまま、長年製品化されなかったオレンジ色の幻のベッド、”LIVING BED”が最近BERNINIのカタログに掲載されるようになっていました。モノは未だつくられていないからCGです。


ある日、YSDさんと一緒にそのBERNINIのカタログを見ていると、彼が「これ欲しい」とおっしる。CGで掲載されたオレンジ色の巨大なキングサイズベッド。


「どこに置くんですか?」

「置く場所ないけど、買うぞ!」

「じゃあ、置く場所つくりましょう」

「今住んでるところを、このベッドが置けるようにリフォームしてよ」


この御仁、帽子・眼鏡から靴にいたるまで、身に着けるもの全て、全身オレンジ色の人なのでした。だから、ベッドもオレンジ色でなくてはならないのです。こうしてジョー・コロンボ没後37年にしてようやくこのベッドは、世界ではじめて製品化されることになりました。もちろん、インテリアの構成要素全てが、コロンボに敬意を表し、このベッドを中心にして考えられたことは言うまでもありません。


2007-2008

マンションリフォーム/東京都

奈義町現代美術館・図書館


1991-1994

現代美術館・図書館/岡山県

磯崎新アトリエ

日本キリスト教団・香貫教会


静岡県沼津市にあるプロテスタントの教会。


井上靖や芹沢光治良、若山牧水や大岡信ら文学者を魅了した風光明媚な土地である。この場所にふさわしく、豊かな風・光を信仰の象徴として扱うのみでなく、機能を持つ実体として会堂に取り込む事とした。


南面に風・光を取り入れつつコントロールする、ルーバー付きの大きな開口を設け、そのため南側が高い片流れの屋根形状を持つ。太陽の運行とともに、室内空間の光の様相は、風の流れを伴いつつ、刻一刻と姿を変えて行く。


構造は鉄筋コンクリート。日曜学校の礼拝堂、集会室を併設する。


1991-1992

教会/静岡県

栗山健三氏と協働

Sunsarang Chungman 教会


韓国・ソウル市内にあるプロテスタントの教会。マンションの共用施設の一部を改修し、当座の伝道拠点とする。もとは、半地下のスペースにある、8つの小さな貸事務所であった。半地下ではあるが、自然光が入る。


光に向う平面計画がすべてを決める。中央部に残された柱を結界として、光に近い方を礼拝堂、奥の部分を厨房・食堂・牧師書斎を含む一連のオンドル(電気式床暖房)空間に充てる。機能的に必要な分割は、固定された壁ではなく、透過性を持つ柔らかく軽いカーテンによってなされた。また、この礼拝堂のためにデザインされたベンチ、説教台、聖餐台等の家具は、空間の狭さ・低さを助長させないよう、注意深く最小限のヴォリュームとして作られ、元々狭小なオフィス空間である事を感じさせない仕上がりとなった。


プロテスタントの教会は、偶像を会堂に置かず、崇拝しない。装飾的要素を極限まで削ぎ落として行った結果、数種類の透過光のみが充満する明るく白い礼拝堂に行き着いた。



わたしは世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。

(ヨハネ8:12)


2001

教会/韓国・ソウル特別市

SKN


伊豆の温泉地に建つ木造平屋住宅。


前面道路に対して「引き」をとった切妻平入の左右相称形式。既存の基壇状部分に建物が載り、正面柱間3間の深い軒が水平を強調して待ち構える。正面から隠された南側では、居住スペースが必要に応じた非対称の延伸によって平面形が決められている。


アテナ女神とパルテノンの関係同様、伊豆の女神は木造の神殿に住む。正面前庭には株立ちの紅葉。竣工後、女神は室内の調度品、絵画、花入れなどを吟味して来た。家具や絵、花が納まるべきところに納まって住宅ははじめて呼吸し始める。お気に入りのしつらえを纏った栖は、生まれたばかりの乳飲み子のように、これから起る様々な日常を吸収して育っていくことだろう。


アテネの神殿より優っているのは、ここには温泉が引かれていることだ。


2009-2010

住宅/静岡県

UCY


都心の住宅地に建つRC2階建て住宅。


建物の平面形状は、矩形の敷地に対して凸が東に向く配置をしており、北側道路に面した北東部および南東側に庭を設け、緑に囲まれる。北側道路から見た立面は上に行くに従ってセットバックする凸型をしており、木々のための空の広がりを確保している。南東側の庭はこの家の生活の中心である1階の居室に面していると同時に、2階の各室からも緑の眺めを確保出来るよう、樹種が吟味された。


都心、住宅密集地の環境は必ずしも緑豊かというわけにはいかないが、敷地内では可能な限りの植栽を計画することによりこのエリアの緑化発信源になることを願う。


内部空間は「生活」の背景として、出来るだけ主張を抑制した色/材料/形状でまとめている。「生活」とは調度品そのものだと言っても良い。家具やフロアスタンドなど様々な道具類が設計と並行して選択されたのは、ガランドウとしての内部空間を避け、モノとヒトとの濃密な関係を生む場をつくるためだ。


建物正面に吉田和央作のアイアンワークによる門扉が構える。出掛ける度に、帰宅する度に、ここが我が家だと云う想いが深く積もっていくだろう。


2009-2011

住宅/東京都


写真 ナカサ・アンド・パートナーズ